松原修平選手 インタビュー
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【プロフィール】松原 修平(まつばら しゅうへい) 水戸ホーリーホック GK 背番号21
プロへの階段を駆け上がる日々
北海道唯一のJクラブ・コンサドーレ札幌の下部組織には、道内のトップ選手たちが集います。
同学年のキーパーには北海道選抜の選手や、小学生年代からクラブに所属してきた経験者も多く、競争は激しさを極めていました。
そんななかで松原選手は、加入してすぐの大会で背番号1を勝ち取り、さらに上の学年の試合にも出場。実力でチャンスを引き寄せ、ステップアップを重ねていきます。
チームメートには、後にプロとなった三上陽輔選手(元コンサドーレ札幌)や、現キャプテンの荒野拓馬選手らが在籍。オフの日も共にシュート練習を繰り返し、互いを高め合いました。
その実力は中学年代の北海道選抜にも認められ、世代別で「道内ナンバーワンGK」と評される存在に成長していきます。

ただ、当時のチームは“谷間の世代”と呼ばれるほど結果に恵まれず、悔しさも経験しました。
「中2では全国大会に出ましたが、中3の時は北海道の決勝で敗れました。サッカー自体は上達したと思うけど、結果がついてこず、悔しい思いばかりでしたね」
次なる飛躍を目指し、松原選手はそのままクラブのU-18チームへと進みます。

日の丸を背負い、世界を知ったU-17W杯予選
U-18へ進んだ松原選手は、早くから高校年代を越えた舞台で経験を積んでいきます。トップチームの練習に参加し、トレーニングマッチでもプレー。それは「ほぼプロと変わらない環境」でした。
高校2年時には、ついに世代別の日本代表に初選出。
柴崎岳選手(現・鹿島アントラーズ)、宮市亮選手(現・横浜F・マリノス)らとともにU-17日本代表としてW杯予選に挑み、日の丸を背負って世界の強豪と戦いました。
「監督やコーチからの要求も、基準が“世界”になった。実際にメキシコやスロバキアなどフィジカルが強い相手と対戦して、自分のプレーが全然通用しなかった。まだまだ甘かったと痛感しましたね」
結局、W杯本戦への出場は果たせず、メンタル面の弱さも含めて課題が浮き彫りとなった大会でした。
それでも、“自分が一番だと思っていたら、さらに上がいる”という現実を改めて知る機会となり、この苦い経験が、松原選手を人間としてもサッカー選手としても大きく成長させていくことになりました。

『プロになりたい』ではなく『プロになる』 強い覚悟を持って過ごした日々
U-17日本代表から戻り、チームで再スタートを切った松原選手。
後にトップ昇格を果たす横野純貴選手(現コンサドーレ札幌フロント)や、現在も札幌の象徴として活躍する宮澤裕樹選手らの鋭いシュートを浴びながら、GKとしての技術を磨いていきます。
一方で、実力がありながら昇格できなかった先輩GKの姿も目の当たりにし、「プロになるためには、結果と覚悟が全て」と痛感。自身がプロになるための明確な物差しとなりました。
“プロになりたい”ではなく“プロになる”
強い気持ちで、高校3年時には2種登録選手としてトップチームにも関わりましたが、それでも昇格は叶わず。大学進学を検討していた矢先、ファジアーノ岡山からのオファーが届き、念願のプロキャリアをスタートさせます。
その後、さまざまなカテゴリーのクラブを渡り歩き、時に苦労も経験しながら選手としても人としても着実に成長。
そしてついに、サッカーを始めた小学1年の頃からの夢だった“コンサドーレ札幌の選手になる”という目標を、四半世紀の時を経て叶えることとなったのです。