板倉健太選手 インタビュー
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【プロフィール】板倉健太(いたくら けんた)水戸ホーリーホック DF 背番号36 ●2002年6月15日生まれ [出身地] 埼玉県八潮市 [身長/体重] 182cm/78kg [血液型] B [利き足] 右 [加入歴] 1年目 [経歴] レジスタFC→CAアレグレ→山梨学院高校→東京国際大学
板倉健太、硬軟自在のセンターバック
全国制覇を経験した注目の若手センターバック
今シーズン、東京国際大学から水戸ホーリーホックに加入したルーキー・板倉健太選手。相手ストライカーとの競り合いや空中戦での強さが特徴で、開幕スタメンに抜擢されると右肩上がりに急成長を遂げながらレギュラーに定着。堅守を誇る水戸のDFラインを牽引するセンターバックとして活躍しています。

板倉選手がサッカーと出会ったのは、物心がつく前の幼少期。埼玉県八潮市で3人兄弟の末っ子として育ち、自然と兄たちとボールを蹴るのが日常になりました。幼稚園の頃には地元の強豪クラブ「レジスタFC」のスクールに入団し、小学生の6年間を同クラブで過ごします。
レジスタFCはジュニア世代で広く知られる全国大会の常連クラブ。それゆえにコーチの指導は厳しく、周囲のレベルも非常に高い環境。「メンタル的にキツイ時もあり、大変で辛い時期でもありました」と振り返る厳しい経験こそが、彼の原点となりました。

強豪クラブの厳しい競争のなかでスタートしたサッカー人生。しかし"群を抜いていた"というキックの精度を活かしながら、ディフェンダーとしての才能を開花させていきます。
小学5年生の時には「第37回全日本少年サッカー大会(現:全日本U-12サッカー選手権)」で全国大会デビュー。翌年には「JA全農杯 全国小学生選抜サッカー大会(チビリンピック)」で全国優勝を達成するなど、全国の舞台で輝かしい実績を残します。さらに「第38回全日本少年サッカー大会」でも3位入賞を果たすなど、早くから大舞台の経験を重ねました。

中学ではJクラブの下部組織へ加入を目指すも、セレクションには届かず、地元のクラブ「CAアレグレ」でプレー。ここではゲーム形式の練習が多く、個性と主体性を重視する指導方針が板倉選手の性格にマッチしました。小学時代のように全国大会での栄冠を手にすることはできませんでしたが、ボランチとして司令塔の役割を担いながら、サッカー本来の楽しさを再確認できた3年間。板倉選手は「すごく楽しい時間でした」と振り返り笑顔を見せます。
山梨学院で高校サッカーの頂点へ、そして優秀選手に
CAアレグレでの活動を終えて次の進路を模索していた板倉選手。そこへ舞い込んだのは、高校サッカーの強豪・山梨学院高校のセレクションへの誘いでした。
3度目の挑戦で見事合格すると、親元を離れて単身で進学。始めは厳しい上下関係に戸惑い「地獄」と感じることもあったといいますが、2年生になる頃には環境に順応。
また、寮生活で身の回りのことを自分でこなす自立心が芽生え、苦楽を共にする仲間たちとの絆を深めるなど、サッカー選手としてだけでなく人間的にも大きく成長していきました。
そして、高校3年間の集大成として挑んだ最後の選手権大会では、決勝戦で青森山田高校を下して優勝。悲願の全国制覇を成し遂げるとともに自身も優秀選手に選ばれるなど、高校サッカーの歴史に見事に名を刻みました。
