島谷義進選手 インタビュー
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【プロフィール】島谷義進(しまたにきしん)水戸ホーリーホック MF背番号41 ●2008年3月23日生まれ [出身地] 愛知県名古屋市 [身長/体重] 176cm/67kg [血液型] B [利き足] 右 [加入歴] 1年目 [経歴] 東海スポーツ→FC.VIDA→東海スポーツ→FCフェルボール愛知→流通経済大学付属柏高校
反骨心から始まった挑戦――守備で道を拓く島谷義進
“負けたくない” 名古屋で芽生えた原点
高い守備強度と広い視野を併せ持つボランチ、島谷義進選手。今冬、日本中を沸かせた第104回全国高校サッカー選手権大会では、千葉県の強豪・流通経済大学付属柏高校のキャプテンとしてチームをベスト4に導き、2025年度全国高校選手権優秀選手にも選出された期待の高卒ルーキーです。
そんな島谷選手のサッカー人生は、2歳上の兄の影響で始まりました。
地元・愛知県名古屋市の名門クラブ「東海スポーツ」に入団すると、持ち前のセンスを発揮して瞬く間に頭角を現します。しかし、その歩みの裏には強い反骨心が常にありました。名古屋という土地柄、多くの少年が憧れるのは地元の雄・名古屋グランパスのアカデミー。島谷選手もその門を叩きましたが、結果は不合格。その経験が、島谷少年の心に火を灯します。
「セレクション以降、グランパスに対して『絶対に負けたくない』『いつか必ず倒してやる』という気持ちが強くなったんです。そこからですね、グランパスと競えるチームで戦いたいと思うようになったのは」
名古屋市トレセンでは、現在のチームメイトである山下翔大選手との運命の出会いもあり、小学6年時には県1部リーグで破竹の全勝優勝を達成。全日本少年サッカー大会の予選では直接対決を前に惜しくも敗退しましたが、“打倒グランパス”という環境と反骨心が島谷選手を大きく成長させました。
挫折と感謝の中学時代――家族の支えとポジション転機
中学進学を機に、島谷選手はさらなる高みを求め、JクラブやJFAのアカデミーも名を連ねる東海リーグ所属のFCフェルボール愛知へ進みます。強豪での挑戦を支えたのは、家族の深い愛情でした。
練習場のある春日井市までは高速道路を使っても車で約30分かかる距離。その送迎を一身に引き受けたのが、定年退職したばかりの祖父でした。「僕のために毎日、車を出してくれた祖父には感謝しかありません。高校で千葉(流経大柏)へ行ってからも、愛知から試合を観に来てくれました」
しかし、競争は激しく1年時はBチームに配属。スタメンを外される時期もありました。
当初はフォワードやサイドハーフなど攻撃的なポジションでしたが、守備的ミッドフィルダー(アンカー)にコンバートされてから徐々に主力組で活躍。3年時に再び出場機会を失いますが、それでもトップ下に挑戦するなど、試合に出続けるために変化を恐れませんでした。
「中学でいろいろなポジションを経験させてもらったことが、今の柔軟性に繋がっています。今のプレースタイルからは想像できないかもしれませんが、当時は脱力系のテクニックを売りにするドリブラーだったんですよ(笑)」
挫折に苦しみ挑戦し続けた中学時代。そして、島谷選手は故郷の愛知を離れ、国内屈指の強豪・流通経済大学付属柏高校への進学を決意しました。
流経大柏で訪れた決断。「ボランチ」への覚悟
「プレミアリーグという最高の舞台からプリンスリーグ、県一部リーグまでさまざまなカテゴリーで戦えること、そしてスカウトの目に留まりやすい関東圏であること。全てを考えて関東へ出ることを決めました」
“日本一の環境” と語ったその選択は、島谷選手にこれまでの人生で最も濃い3年間とともに、人生最大の転機をもたらします。それは高校2年の夏、コーチから告げられた一言。
「お前はボランチをやれ。絶対に守備のほうが向いている」
それまで攻撃的な役割にこだわってきた島谷選手にとっては大きなチャレンジ。しかし戸惑いながらもアドバイスを受け入れ、守備的ボランチとしての道を歩み始めます。
「最初は慣れないことも多く、ミスもあってボールを受けるのが怖い時期もありました。でも徐々に、相手の攻撃をガツンと潰すことに快感を覚えるようになったんです。今振り返れば、もし前線の選手のままだったら、絶対に高卒でプロにはなれていなかったと思います。あのコンバートが僕の人生を変えてくれました」
高校2年時に選手権準優勝、続く3年時もベスト4に輝くなど、誰もが憧れる国立競技場を舞台に躍動し、キャプテンとしてもチームを牽引。流経大柏での大きな成長を経て、水戸ホーリーホックへ。念願だったプロへの扉を開きました。