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2025.03.10

多田圭佑選手 インタビュー

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多田圭佑選手 インタビュー

【プロフィール】 多田圭佑(ただ けいすけ) 水戸ホーリーホック FW背番号25 ●2002年9月27日生まれ [出身地] 茨城県日立市 [身長/体重] 175cm/72kg [血液型] AB [利き足] 右 [加入歴] 1年目 [経歴] 坂本サッカースポーツ少年団 → 日立市立坂本中学校 → 矢板中央高校 → 立正大学

多田圭佑 “プロ第一歩”を踏み出した日立の原石

待望のホームタウン・日立市出身の選手!得点の嗅覚に優れた万能型ストライカー

得点の嗅覚に優れた万能型ストライカーの多田圭佑選手。昨年、惜しまれつつ29年間のプロ人生に終止符を打ったレジェンドGK本間幸司選手に次ぐ、待望のホームタウン・日立市出身の大卒ルーキーです。

 

多田選手がサッカーを始めたのは幼稚園の頃。サッカースクールに通っていた3つ上の兄の影響で、自然とボールを蹴り続ける毎日でした。 小学生となり、地元の坂本サッカースポーツ少年団へ入団すると、負けず嫌いの同級生たちとともに勝利を積み重ねます。「負けることのほうが少なかった」というチームは、小学4年生の時に県大会4位という好成績を収めるなど、県北サッカー少年団の雄としてその名を響かせていきました。

小学校卒業後は市立坂本中学校サッカー部へ入部。少年団とほぼ同じメンバーが揃い、新たなステージでも勝利を目指しますが、学校から委託された外部コーチの指導を受けられるのは決まった曜日のみ。また、練習場も狭い校庭のさらに限られたスペースのみしか使えないなど厳しい練習条件に直面。決して恵まれた環境ではありませんでしたが、熱くサッカーを志す仲間たちと勝利を掴むために日々トレーニングに励みました。

 

当時の様子については「顧問はサッカー経験者ではなく、外部コーチもいつもいる訳ではなかったので、自分達で雰囲気を作ったり、与えられたメニュー以外のトレーニングを自分たちで考えたりしていました」と振り返ります。

 FWとして仲間のため、己のために、ひたすら点を取り続け、中学3年次の総体では、前年度惜しくも敗れて進むことができなかった、県大会への切符をつかみ取ることができました。

強豪・矢板中央高での躍進。関東2部リーグで研鑽を積み得点王へ

幼い頃からプロ選手の夢を抱いていた多田選手。指導に来ていた外部コーチの勧めで茨城を飛び出し、栃木県の強豪校・矢板中央高校へと進学。

 

矢板中央高校サッカー部は、1学年に50~60人も在籍するマンモス部活。そこで激しい競争を勝ち抜き、2年生でエースナンバーの10番を背負い、関東地区のJクラブ下部組織や強豪校と戦うプリンスリーグ(高校サッカーの2部リーグ)で徐々に頭角を現していきました。 そして、2年の夏にインターハイ出場、全国高校サッカー選手権では2年連続ベスト4入りを果たし、全国の頂点まであと僅かのところまで上り詰めました。

高校サッカーで輝かしい結果を残した多田選手。かつて東京の名門・帝京高校を率い当時矢板中央のアドバイザーを務めていた高校サッカー界の名将・古沼貞雄さんから大学サッカーを勧められ、サッカー選手となる道を切り開くことを決意。4年後にプロとなることを目指し、最初にオファーをくれた関東大学サッカー1部リーグ所属の立正大学を選びました。

 

 ところが、1年次にチームの成績は低迷。2年次から4年次まで2部リーグでの闘いを余儀なくされましたが、多田選手は決してプロの夢を諦めず、目の前の試合や練習で自身の能力を磨き続けました。すると、その努力が実り、4年次の5月に水戸ホーリーホックへの加入が内定。地元クラブで念願のJリーガーという夢を叶えました。 また、自身の大学サッカー最終年となる「令和6年度関東大学サッカー2部リーグ」では、トップの15得点をあげる活躍を見せ、得点王とベストイレブンを獲得。学生時代を有終の美で飾りました。