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2025.10.14

沖田空選手 インタビュー

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沖田空(おきた そら)水戸ホーリーホック DF背番号27 ●2002年9月5日生まれ [出身地] 千葉県成田市 [身長/体重] 180cm/77kg [血液型] O [利き足] 右 [加入歴] 2年目 [経歴] マルバ成田→成田SSS→鹿島アントラーズJr→鹿島アントラーズJrユース→鹿島アントラーズユース→筑波大学

スピードと判断力で魅せる、新世代のサイドバック 沖田空

「ヤットの一撃」に心を奪われた少年時代

筑波大学出身の沖田空選手は、卓越したスピードを武器に、正確なフィードとクロスでチャンスを生み出す右サイドバック。インサイド、アウトサイドを自在に駆け巡る柔軟性に加え、冷静な判断力と高い技術を兼ね備えたクレバーなボールさばきで、ピッチを沸かせる大卒ルーキーです。

 

幼い頃から運動神経抜群だった沖田選手が、サッカーと運命的に出会ったのは小学3年生のとき。2010年南アフリカW杯、日本対デンマーク戦――日本代表が16年ぶりの決勝トーナメント進出をかけた大一番でした。

 

重圧がかかる場面で、司令塔・遠藤保仁選手が放った完璧なフリーキックがゴールネットを揺らす瞬間をテレビで見た少年時代の沖田選手は、「カッコいいな!と胸が熱くなりました。自分の人生を変える一発でした」と目を輝かせながら振り返ります。

当時、実は仲の良い友人と野球少年団への入団届を出していましたが、その出来事がきっかけで急遽入団を取り消し、父親の薦めで地元の「マルバ成田」に入団。

マルバは、水戸市出身の上田綺世選手や元日本代表の大津祐樹選手などを輩出した名門クラブで、フットサルの全国大会優勝経験も持つ育成手腕に定評がある名門です。


1対1に特化したマルバの育成方針のもとで、沖田選手はサッカーへの情熱と負けん気を育みながら基礎技術をグングンと吸収。小学4年になると、成田サッカースポーツ少年団やマルバ浦安校の上級コースでもプレーし、まさにサッカー漬けの毎日を過ごしていきました。

鹿島アントラーズアカデミーで学んだ「本物の厳しさ」

その後、沖田選手は鹿島アントラーズジュニアの入団セレクションに合格。さらなる高みを目指します。


常勝軍団・鹿島の下部組織は、トップチーム、ひいては世界で通用する選手を育てる日本屈指の強豪アカデミー。ハードでハイレベルなトレーニングについていけず、大好きなサッカーを諦めかけた日もありました。


「とにかく厳しかったですね。これがJクラブなんだ、と。周りのレベルも高いし、本当に全員ギラギラしている」と、当時の衝撃を振り返る沖田選手。「負けたくない」という気持ちを支えに、歯を食いしばり、なんとか踏ん張ったといいます。

練習の強度が格段に上がった中学世代のジュニアユースでは、「きつかった思い出しかない」と苦笑するほど、常に競争の毎日。走り込みの順位が張り出され、基準タイムをクリアしなければ試合に出られないという厳しいルールのもと、プロ選手に必要なフィジカルと技術を徹底して植え付けられました。

 

すると、やがてその成果が結果に表れるように。国内でもトップレベルといわれる関東リーグで年間優勝を達成。厳しい環境を乗り越えたことで、確かな手応えと自信を手にしました。

高校世代のユースでは、日本最高峰のプレミアリーグEASTで優勝を経験。しかし、トップチームのキャンプ招集がかかる重要なタイミングで負傷離脱というアクシデントに見舞われ、悔しさを味わいました。


「現実に目を向けて、サッカーで取り返すしかない」と自らを奮い立たせ、再び努力を重ねる日々。不完全燃焼の一年を経て、サッカーを理論的に学び、指導者としての勉強もできる筑波大学への進学を決意しました。

自主性を磨いた筑波大学時代 ―“考える力”が成長の糧に

現・日本代表の三笘薫選手をはじめ、多くのプロ選手を輩出してきた筑波大学蹴球部。

「自分で何をすべきか考えて、それに全力を費やせる環境」

そこで過ごした4年間を、沖田選手はそう語ります。

筑波大では、すべてが自己責任。プロの世界を先取りするように、チーム練習と個人練習を7対3の割合で実施していました。沖田選手はチーム練習で足りないと感じた部分を自ら補い、1対1、パス&コントロール、トラップ、筋トレなどを日課として継続。

 

特に武器であるスプリント強化には強いこだわりを持ち、練習後には必ずコーチとフォームを確認したほど。「スプリントの出力を上げることは、自分がプロで活躍する上での生命線」だと沖田選手は考えています。

その努力の積み重ねは、やはり確かな結果として表れました。


キャプテンとして挑んだ全日本大学サッカー新人戦で初優勝を果たし、翌年の関東大学サッカーリーグ戦1部でも優勝を達成。筑波大の黄金期を支える活躍でした。


なかでも4年間で最も印象に残っているという試合は、2024年天皇杯2回戦。当時J1首位だった町田ゼルビアをPK戦の末に下し、大金星を挙げた一戦。チーム全員が最後まで一体感を持って戦い、学生時代の集大成として掴んだ勝利は、今でも誇りに思っています。