大森渚生選手 インタビュー
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【プロフィール】大森渚生(おおもりしょう)水戸ホーリーホック DF背番号2 ●1999年8月19日生まれ [出身地] 東京都武蔵村山市 [身長/体重] 177cm/75kg [血液型] A [利き足] 左 [加入歴] 1年目 [経歴] 東京ヴェルディジュニア→東京ヴェルディジュニアユース→東京ヴェルディユース→日本大学→栃木SC
サイドから“試合を動かす”クレバーなレフティー 大森渚生
悔しさと向き合い続けたヴェルディ時代 —— 「負けず嫌い」が原点
今季、栃木SCから水戸ホーリーホックに完全移籍で加入した大森渚生選手。左足から繰り出される高精度のキックを武器に、セットプレーのキッカーも務める左サイドバックです。
卓越した戦術眼と献身的な守備、そして豊富な運動量でチームを牽引。開幕から全試合先発を続け、水戸の快進撃を支える存在となっています。
父の影響で幼い頃からボールに触れ始めた大森選手。プロへの道に繋がるサッカーの原点、その礎となったのは、東京ヴェルディのアカデミーで過ごした9年間でした。
「はじめは地元のクラブに入ってプレーしていましたが、ある大会でたまたまヴェルディの選手たちの試合を見かけたんです。普通の少年チームの選手とは違うオーラがあって、すごく格好良くて。」
自分もあの中に入りたい――
その想いでジュニアチームのセレクションに挑み、見事合格。そして、ジュニアユース、ユースチームへと進みました。周囲から見れば順風満帆なエリートコース。しかし大森選手にとっては、悔しさの連続だったといいます。
「自分達は『弱い世代』と言われていました。ジュニア時代に憧れていた上の世代には、中島翔哉選手(現・浦和レッズ)や小林祐希選手(現・いわてグルージャ盛岡)らがいて、プレミアリーグやクラブユースで優勝していた強豪世代。でも自分たちの世代は、なかなか結果を出せませんでした」
ジュニア時代は10番を背負う“王様”だった大森選手。しかし中学に上がると、同期の藤本寛也選手(現・バーミンガム・シティ)に背番号とポジションを奪われます。さらに高校でも、大久保智明選手(現・浦和レッズ)とのポジション争いもあり、試合に絡めない日々が続きました。
「親に『サッカーから1回離れたい』と漏らしたこともありました。でも負けず嫌いなので、このまま辞めて“逃げた”と思われるのがすごく嫌だったし、まだやりきれてない部分もありました。辞めるのは、やること全部やってからだなって思ったんです」
そう心に区切りをつけ、それからは毎日、練習後に最寄り駅から自宅までの4kmを走って帰るように。“自分との勝負”でした。やがて、その努力は実を結び、高校3年次には全試合に出場するまで成長しました。
自分を変えた日本大学時代
「4年後に必ずプロになる」。
そう固く決意して進学した日本大学で、大森選手は大きな転機を迎えます。ヴェルディではオンザボールで“魅せる”タイプの選手でしたが、大学ではそのスタイルを自ら手放しました。
「小手先の選手で終わりたくなかったので、プロで通用するために必要なことを逆算して、プレースタイルもメンタリティも変えました。それまでは蹴落としてでも這い上がる世界でしたが、大学ではチームを勝たせることで自分の評価に繋がる。チームに与えたものが自分に返って来ることも実感できたんです」
求めたのは、ハードワークと守備の強度、そして運動量。自分に足りなかった部分を徹底的に磨くと、大学1年生からリーグ戦のスタメンに定着。関東2部リーグ昇格に貢献し、センターバックをはじめ複数のポジションも経験しました。すると、元々得意だった左足の技術とキックの精度に加え、強度の高い守備と豊富な運動量が評価され、DENSOカップでの活躍を機に、多くのJクラブから注目を集める選手へと変貌しました。
また、FC東京の下部組織から一足先に高卒でプロ入りを果たした実弟・大森理生選手(FC今治へ育成型期限付き移籍中)の存在も大きな刺激でした。
「弟に負けていられない」という実兄としてのプライドと、努力で這い上がっていく弟へのリスペクト。その存在が、プロを目指す大森選手の大きな力になりました。そして、2022年。栃木SCからオファーを受けてプロ入りを果たし、今季から完全移籍した水戸ホーリーホックで飛躍のシーズンを戦っています。