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2025.11.21

加藤千尋選手 インタビュー

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【プロフィール】加藤千尋(かとうちひろ)水戸ホーリーホック MF背番号99 ●1998年12月12日生まれ [出身地] 東京都 [身長/体重] 175cm/72kg [血液型] B [利き足] 右 [加入歴] 1年目 [経歴] 尾山台SC→ヴィトーリア目黒FC→ヴェルディS.S.アジュント→流通経済大付属柏高校→流通経済大学→ベガルタ仙台→モンテディオ山形

攻撃の流れを生み出すハードワーカー 加藤千尋

加藤千尋|水戸ホーリーホック

サッカーに夢中になった日々――“両足アタッカー”の原点

今シーズン、大きな躍進を続ける水戸ホーリーホックで、ゴールとアシストの両面から攻撃を牽引している加藤千尋選手。モンテディオ山形から6月に完全移籍で加入すると、多彩なポジションをこなせるアタッカーとして左右両サイドで推進力を発揮し、豊富な運動量と献身的な守備でも大きく貢献。シーズン途中の加入ながら、チームのJ1昇格争いに欠かせない戦力となっています。

 

東京都世田谷区出身の加藤選手がサッカーと出会ったのは小学1年生の時。
「それまで体操を習っていたんですが、友達と遊びでサッカーをしているうちに夢中になったのが始まりでした。本当は野球をやりたかったんですけどね」
その何気ないきっかけが、やがて人生を大きく動かす転機となりました。

加藤千尋|水戸ホーリーホック

友人とともに地元クラブでプレーしたのち、小学3年生になると都内の名門・ヴィトーリア目黒FCへ移籍。矢村健選手(藤枝MYFC)やブラウンノア賢信選手(ファジアーノ岡山)らを輩出した強豪で、加藤選手自身も左サイドバックとして東京選抜に選ばれるなど、類まれな才能を開花させていきました。

 

中学に進学すると、調布市にある東京ヴェルディの下部組織・ヴェルディS.S.アジュントに所属。放課後に片道2時間をかけて電車で通いながら、ボランチなど複数ポジションを経験。「のびのびと」サッカーに打ち込む環境の中で、技術と視野を広げていきました。

挫折と再起 流経大柏でつかんだ『強さ』

中学を卒業した加藤選手が進んだのは、高校サッカー屈指の名門・流通経済大付属柏高校。東京ヴェルディのユースでプレーするには力の差を痛感し、高校サッカーの舞台で力を蓄えてプロを目指す――その選択の上にたどり着いた決断でした。

 

流経大柏は、全国トップレベルの高校がひしめく激戦区・千葉県でも市立船橋と並ぶ二強と称される存在。高校最高峰・プレミアリーグの優勝経験もあり、“常勝校”として全国に名を響かせています。


「他校の指導者から『流経大柏ではきっと試合に出られない。絶対にうちに来たほうがいい』と直接誘われたこともありました。でも、プロになるには厳しい環境が必要。練習に参加して、流経大柏が自分に相応しいと思ったんです」


そう語るように、加藤選手は実家を離れ、覚悟をもってその門を叩きました。

加藤千尋|水戸ホーリーホック

1年の秋にトップチーム入りし、選手権メンバーとして全国デビュー。順調な滑り出しに手応えを掴んだ矢先、キャリアにおける最初の試練が訪れます。


それが―― 膝の半月板損傷。


新チームが発足した1年の終わり頃に負った大怪我により、その後の高校生活の約半分を、思うようにボールを蹴れない日々が続くことに。フィジカルの痛みに加えて、急成長する時期に身体を動かせない精神的な苦痛。押し潰されそうな状況の中で加藤選手を支えたのは、プロを目指す強い意志と、同級生がピッチで輝く姿を見たときの悔しさでした。

 

ボール拾いや水筒の補充など、雑務をこなしながら支え役に徹し、ネガティブな感情もすべて燃料にしてリハビリへの原動力に変えていく。そして復帰した3年夏のインターハイでは、それまでの鬱憤を晴らすかのようにFWとして躍動し、全国準優勝を成し遂げました。

加藤千尋|水戸ホーリーホック

流経大での飛躍 プロの扉を開いた“運命の出会い”

怪我の影響もあり、高卒でのプロ入りは叶わなかった加藤選手。当初は実家から通える都内の大学を考えていましたが、当時の担任から「そんなところでプロになれるの?」と問われた一言が胸に刺さり、もう一段厳しい環境へ飛び込む覚悟を固めました。

 

そうして進学したのが、水戸ホーリーホック初代監督の中野雄二監督が指揮を執り、日本代表・守田英正選手(スポルティングCP)ら150人以上のプロを輩出している茨城県の流通経済大学。しかし、この4年間も決して平坦ではありませんでした。

 

250人もの部員を抱える巨大組織の中で、上も下もタレント揃いの世代に挟まれた加藤選手は、3年生までセカンドチームでのプレーが続く日々。「思い描いていた大学生活とはかけ離れていて、すごく悔しい思いばかりでした」と、当時を振り返ります。

加藤千尋|水戸ホーリーホック

次第に遠のくプロへの夢。しかし、暗中模索の中で迎えた最終学年、ついに加藤選手に転機が訪れます。それが、恩師・曺貴裁(チョウ・キジェ)氏との出会いです。

 

現在はJ1・京都サンガF.C.を率いる“Jリーグ屈指の猛将”が、この年、一時的に流経大のコーチに就任。その指導の下、加藤選手はそれまでの悔しさを吹き飛ばすように爆発的な成長を遂げます。

 

関東2部リーグで得点ランキング2位となる14得点を記録し、流経大の1部復帰に大きく貢献。さらに、関東ナンバーワン大学を決めるアミノバイタルカップでもチームを優勝へ導き、タイトル尽くしのラストイヤーを駆け抜けました。その積み重ねが、ついにプロへの扉を自らの力でこじ開けた瞬間へと繋がります。

「曺さんとの出会いが、僕のプロへの最大の分岐点でした。“金の取れる練習をしろ” “仲間から信頼される選手になれ” と、常にプロ目線でアドバイスをくれました。アミノバイタルカップ決勝前のミーティングで伝えてくれた言葉には泣きそうになりましたし、『この人のために頑張りたい』と思えた初めての人です」

 

加藤選手はそう語り、恩師への深い感謝を口にします。