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2025.09.08

山﨑希一選手 インタビュー

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【プロフィール】山﨑希一(やまざき きいち)水戸ホーリーホック MF背番号24 ●2001年10月12日生まれ [出身地] 和歌山県 [身長/体重] 167cm/60kg [血液型] A [利き足] 右 [加入歴] 2年目 [経歴] 富田SSS→カナリーニョFCリオ→興國高等学校→中央大学

“韋駄天ボランチ”――山﨑希一の挑戦

弟とともに始めたサッカー。カナリーニョFCリオでの飛躍

素早い身のこなしで狭いスペースでもボールを巧みに扱い、攻撃の起点となるプロ2年目の山﨑希一選手。今年3月30日、J2リーグ第7節のいわきFC戦でJ初ゴールを決めると、その後もボランチとして豊富な運動量で攻守に貢献。その献身的なプレーでチームに新たな希望や活力を与えています。

山﨑選手がサッカーを始めたのは小学4年生。プロ選手のスタートとしては比較的遅めで、きっかけは3歳年下の弟でした。

 

「家族の引っ越しで転校した先の学校で、弟が友人に誘われてサッカーを始めたんです。その楽しんでいる様子を見て、『面白そうだな』と僕も一緒に地元の少年団に入ったのが始まりです」


それまで特定のスポーツ経験はありませんでしたが、足の速さには自信があったという山﨑選手。入団直後から俊足を武器に才能を開花させ、6年生のチームで試合に出場するなど頭角を現すと、地区トレセンにも選出されました。

 

すっかりサッカーの魅力に取り憑かれ、中学ではさらにハイレベルな環境を求めて地元の強豪クラブ「カナリーニョFCリオ」へ加入。韋駄天ストライカーとして次々とゴールを決め、クラブのジュニアユースも参加する関西地域の大会でチームを牽引するなど大きな存在感を放ちました。

強豪・興國高校での成長と苦悩

カナリーニョでの活躍後、新たに進学先に選んだのはプロサッカー選手を多数輩出する大阪の強豪・興國高校。全国から300人以上の部員が集まるこのチームで戦術や技術を磨き、「サッカーが一番上手くなった3年間」と振り返ります。


1年時は学年別のチームでプレーしていましたが、秋にはトップチームに昇格。次々とJリーグ入りを決める先輩たちの姿を見て、自身も高卒プロという明確な目標を抱くようになりました。

しかし、3年生になり勝負の時期、コンディション不良に悩み思うようなプレーができなくなると、チーム内での競争に苦しみます。この年、チームとしては興國高史上初の選手権出場を果たしますが、山﨑選手は全国初戦のキックオフをベンチで迎え、チームは1回戦で無念の敗退。大きな成長を実感しながらも、最後は不完全燃焼のまま高校生活を終えました。

逆境にもがいた大学時代。そして水戸ホーリーホックへ

目標を大卒でのプロ入りに切り替えて進んだ中央大学では、1年生からレギュラーに抜躍。ところが入学直後にコロナ禍が到来し、リーグ戦が中止に。再開後もチームは戦績が振るわず関東1部から2部に降格するなど、苦しいスタートでした。


1シーズンでの1部復帰を目指した翌年もリーグ最終戦に敗れて昇格を逃すと、3年時は終盤に怒涛の7連勝で見事リーグ優勝を果たし、念願の1部に復帰。しかし迎えた4年時の最終シーズンは再び下位に低迷、最後は昇降格プレーオフを制し綱渡りでの残留を決めますが、思い描いていたような結果は残せませんでした。

 

苦しみ抜いた大学の4年間。それでも常にプロへの目標はぶれなかったという山﨑選手。「試合に出続けること、結果を出すことを考えて懸命にプレーしました」と話すように、その強い意志と技術が高く評価され、茨城の地、水戸ホーリーホックで念願のプロ入りを果たします。