久保征一郎選手 インタビュー
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【プロフィール】 久保征一郎(くぼ せいいちろう) 水戸ホーリーホック FW背番号22 ●2001年6月22日生まれ [出身地] 鹿児島県 [身長/体重] 186cm/80kg [血液型] A [利き足] 右 [加入歴] 2年目 [経歴] 太陽SC鹿児島U-12 → 太陽SC鹿児島U-15 → FC東京U-18 → 法政大学
J3の舞台を踏んだ少年が知った、プロへの距離感
東京での新しい暮らしと共にスタートしたJ下部組織での挑戦。当時を「楽しくもあり、たくさんの壁が立ちはだかった3年間」と振り返る久保選手。当時、FC東京U-18は全国トップ24クラブが戦う最高峰のプレミアリーグEASTに所属し、対戦相手のチームは、動画配信サイトでよく観ていた世代別日本代表の選手ばかり。
「画面越しで観ていた選手が目の前にいて、驚きしかなかったです。全てにおいて相手の方が上回っていた感覚がありました。でも、自分の現状を知ることができたし、フィジカルの差も痛感したので、筋トレを始めたりして、"まだまだやらないと"と強く思いました」と振り返る久保選手。
実力の差を突きつけられたことが、むしろ大きなモチベーションとなり、日々の練習にいっそう力が入るようになりました。
しかし高校2年のある日、東京都のTFA Tリーグでセカンドチームの主力として活躍していた矢先に、膝の大怪我を負い、約4ヶ月の長期離脱を余儀なくされます。
それでも懸命なリハビリを経て、シーズン終盤に戦列復帰。Jリーグ出場が可能となる2種登録選手に選ばれ、間もなくJ3でプロデビューを果たします。翌年の3年時には、ついに初ゴールも記録しました。
「失うものは何もないと思って、とにかくがむしゃらにやっていた記憶があります。周りの選手はみんなすごく上手かったので、自分をすごく生かしてくれた。もちろんフィジカルの壁にはぶつかりましたが、高校生の自分がJリーグの舞台に立てたことは、何よりの喜びでした」と当時の心境を語ってくれました。

しかし、Jリーグの舞台を経験し、少しずつ成長の手応えも感じていた一方で、それ以上に大きな壁も立ちはだかっていました。
高校3年の夏──ユース所属選手たちに、トップチーム昇格の可否が告げられる時期。1年を通じてコンスタントに結果を残すことができなかった久保選手に、プロへの扉は開かれませんでした。
「もっと自分はできるのに…という思いはあったのに、プレーでうまく表現できず、監督に認めてもらえませんでした。トップチームに絡めない日が続くもどかしさもありました」と、悔しさを口にする久保選手。
それでも、サッカーを諦めるという選択肢は一度もなかったといいます。Jリーガーになる目標を達成するため、大学サッカー界の名門・法政大学への進学を決断。もう一度、自分を鍛え直す武者修行の日々が始まりました。