佐々木輝大選手 インタビュー
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【プロフィール】佐々木輝大(ささききらと)水戸ホーリーホック DF背番号89 ●2003年9月29日生まれ [出身地] 東京都府中市 [身長/体重] 185cm/80kg [血液型] A [利き足] 右 [加入歴] 2年目 [経歴] 小柳小まむし坂サッカークラブ→川崎フロンターレU-12→川崎フロンターレU-15→鹿島学園高等学校→関東学院大学
自分を信じ抜く力――水戸の未来を担うDF 佐々木輝大
“俺はフロンターレに行く”――自信から始まった少年時代
長身を活かした空中戦の強さと鋭い対人守備を武器に、水戸ホーリーホックの未来を担う大卒ルーキー・佐々木輝大選手。
東京都府中市で生まれ育った佐々木選手がサッカーを始めたのは、3歳上の兄の影響でした。物心ついた頃には自然とボールを蹴っており、小学生になる前から兄と同じ「小柳小まむし坂サッカークラブ」に入団します。
大きな転機が訪れたのは小学校4年生のとき。日本屈指の育成組織・川崎フロンターレU-12への加入でした。
都内には多くのJクラブがある中でフロンターレを選んだ理由については「深い意味はなかった」と笑いつつも、「地元のクラブで上手かった先輩がフロンターレの下部組織に入っていて、憧れていたんでしょうね。根拠のない自信があって、『俺はフロンターレに行くんだ』って周りに宣言していました」と振り返ります。
その熱意に押される形で、両親がセレクションを調べて受験。見事に合格し、自らの言葉で未来を引き寄せました。
エリート集団で味わった現実と悔しさ
しかし、都心部からエリートが集まるフロンターレの下部組織は想像以上に厳しい世界でした。
最初の練習では周囲のレベルの高さに圧倒され、「みんな上手くてヤバい!」「ここでやっていけるのか!?」と強い衝撃を受けたと言います。
さらに、チームが課した課題のリフティングをクリアできなければ練参加すらできない厳格な環境。実際に課題をクリアできず、2回も練習を外されたことも。それでも母と二人三脚で自主練習を重ね、必死に“フロンターレ基準”のトレーニングに食らいつきました。
小学生時代には世界最大規模の国際大会「ダノン・ネーションズカップ」を経験。ドイツの名門ドルトムントやアルゼンチンU-12代表など錚々たるチームと対戦し、すでに180cmを超える海外の屈強な同世代との力比べで世界基準を痛感します。
「もっと本気でやらなければプロにはなれない」と視座を一気に引き上げました。
フロンターレU-15では、高円宮杯全日本U-15サッカー選手権大会で全国3位など結果を残す一方、中学1年・3年時には出場機会に恵まれない時期もありました。
そんな苦しい時期でも支えになったのは、自分自身への絶対的な信頼。
「周囲から見れば厳しい状況でも、良い意味で、自分はめちゃくちゃバカなんです。『いや、俺なら絶対いけるでしょ!』って(笑)。自分を信じて、泥臭く努力を続けました」
鹿島学園で鍛えられた身体とメンタル。関東学院大学で出会った恩師たち
フロンターレユースへの昇格は叶わなかったものの、立ち止まることなく前に進んだ佐々木選手。「試合に出て経験を積める環境」を求め、茨城県の強豪・鹿島学園高校へ進学します。
狭い2人部屋での寮生活、名物トレーニングである“地獄の84段階段登り”など、想像を超える厳しさの中で、現在の武器であるスピードやジャンプ力といった圧倒的な身体能力が大きく開花。目標だった全国高校サッカー選手権大会への出場も果たしました。
そしてプロ入りを決定づけたのが、熱烈なオファーを受けて進学した関東学院大学での4年間。奈良安剛監督、金子勇樹コーチとの出会いです。
「フィジカル、技術、サッカーの本質も、一番成長しました。指導はめちゃくちゃ厳しいんですが、愛があるんですよ。決して諦めず、見捨てず、しっかり選手と向き合って足りないところを改善してくれるし、いいところはめちゃくちゃ褒めてくれる。今でも『日本の育成世代で、監督らを超える指導者はいるんだろうか?』と思うほどです」
関東学院大学は横浜F・マリノスと提携しており、在学中にはトップチームへの練習にも参加。鹿島アントラーズと並び、一度も降格を経験したことのないオリジナル10のクラブで“日本トップレベル”を肌で感じながら研鑽を積みました。
その積み重ねによって、水戸ホーリーホックとのプロ契約を掴むと、特別指定選手として選手登録された2025シーズンには、激闘となったアウェイのベガルタ仙台戦でJデビュー。その試合を「冷静にプレーできた」と振り返る佐々木選手。
「『味方が試合開始直後に怪我をして、急遽90分間出場する』『しかも自分のミスで失点する』とか、どん底の展開まで全部シミュレーションして、頭の中で出し尽くしました。だから逆に、ピッチ上での緊張は全くなかったですね」
「最悪の状況から逆算して考える」という奈良監督の教え。
プロとして歩み始めた今も、壁にぶつかったときに厳しいアドバイスをくれる恩師たちの存在は、佐々木選手の大きな支えになっています。