水戸ホーリーホック30周年記念イベント ~前編~
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2024年7月23日、水戸市泉町の水戸市民会館ユードムホールにてクラブ創設30周年イベント「MITO HOLLYHOCK 30th ANNIVERSARY EVENT」が開かれ、クラブの歴史と未来が語られました。今回はその内容を前編・後半に分けて一挙にレポート!前編では、創設時の1994年から、水戸スタイルを模索していた2010年までをご紹介!さらに、人気イベント「推しメン総選挙レジェンド」の発表も!
第一部 1994-2004 全てはここから始まった
過酷な環境だったJFL時代やJ2黎明期
水戸ホーリーホックの起源となるFC水戸が創設された1994年。第一部では当時の選手だった樹森大介トップチームコーチ、鳥羽俊正ヘッドオブコーチング、北川佳男ジュニアユースコーチが登壇し、クラブ創立から地域リーグを経て、JFLからJ2リーグに昇格し、前田秀樹監督の就任2年目のシーズンまでを振り返りました。

司会進行を務めた、冨田大介水戸ユース監督、細川淳矢トップチームコーチ、寺田忍さん(スタジアムDJ)、佐藤拓也さん(フリーライター)
登壇者の中で最古参の元選手である鳥羽さんは、JFL時代の水戸を知る一人。
経営困難でチーム存続が危ぶまれた際には署名活動なども経験し、Jリーグに上がれなければチームがなくなるとも当時の社長から言われました。昇格条件をなんとかクリアし、「JリーグからJ2加盟への承認の電話が来るのを、選手みんなで、事務所で待ちました」とJ参入時の様子を話します。

クラブ創立から地域リーグを経て、JFL(日本フットボールリーグ)からJ2リーグに昇格
水戸ホーリーホックがJ2に参入して今年で25年。J通算ゴール数は1,127点(2024年7月26日時点)を数え、その第1号の得点者が鳥羽さんです。
それは2000年のシーズン第2節大分トリニータ戦。マッチアップした片野坂知宏さん(現大分トリニータ監督)がオーバーラップした隙に裏を取り、少々アウトにかけてGK前川和也さん(元日本代表)から得点を決めた記念すべきクラブ初得点でした。
当時は固定の練習拠点がなく、水戸近郊のグラウンドを転々としていた時代。着替えは車内、シャワーはなく水道の水で汗を流し、土のグラウンドで泥まみれになって練習するという過酷な環境でした。一方で、当時の水戸には元ブラジル代表のFWジョン・パウロ選手が在籍し、高い技術を持つ選手とともにプレーする貴重な体験もできたと言います。

(写真左から)島羽俊正ヘッドオブコーチング、北川佳男ジュニアユースコーチ、樹森大介トップチームコーチ
続いて、話題はクラブの歴代で唯一の外国人監督であり、未だ謎多きバビチ・ブランコ監督(2003-2007)の時代へ。
「当時よくやっていた練習はフルコートでの2対2。走ることをすごく求められました。選手の実績は関係なく、調子の良い選手を起用していました」とブランコ監督を語る鳥羽さん。

クラブの歴代で唯一の外国人監督、バビチ・ブランコ監督
そして2003年に前田秀樹監督が就任すると同時に加入した樹森コーチは、チームメイトだった元日本代表の田中マルクス闘莉王さんについてのエピソードを披露。
「PKを獲得したのは自分だったのに、いつも蹴らせて貰えなかった」、「公式戦の緊張で下痢になる共通点があり、試合直前はいつも一緒に下痢止めと胃薬を飲んでいた」と破天荒で繊細な一面を明かしました。

元日本代表の田中マルクス闘莉王さんについてのエピソードを披露した樹森大介トップチームコーチ