草野 侑己(くさの ゆうき)
水戸ホーリーホック FW 背番号11
●1996年7月21日生まれ
出身地 北海道
身長/体重 170cm/63kg
血液型 B
利き足 右
加入歴 1年目
経歴 柳町サッカー少年団 →プログレッソ十勝U-12 →JFAアカデミー福島U-15 →JFAアカデミー福島U-18 →阪南大 →横浜FC →レノファ山口FC(期限付き移籍) →横浜FC →FC琉球(期限付き移籍)
北海道初のJFAアカデミー生
多くの気付きをくれた指導者との出会い
北海道十勝・音更町出身の草野侑己選手は、攻守で走り回る献身性と果敢にゴールを狙う粘り強さを兼ね備えたクレバーなストライカー。 元々、柔道をやっていた草野選手がサッカーを始めたきっかけは2つ。一つはサッカーをしていた兄の影響、もう一つは2002年に開催された日韓ワールドカップの衝撃です。 「あの大会でブラジル代表のロナウド選手が活躍していて、親父が『あれになれ』って言ったんです」 父の言葉に背中を押され、プロのストライカーになるため、小学1年生の時に地元少年団に入団。 そして小学4年生になる頃、北海道の強豪クラブ・プログレッソ十勝が創設されると、草野選手をはじめ、地域の精鋭達が集結。創設から間もなく全道大会に出場する勢いを見せ、すでに地元の有名選手だった草野選手はチームを牽引しながら北海道トレセンでも活躍していきました。
そんななか、当時開校したばかりの日本サッカー協会が運営するエリート選手養成機関『JFAアカデミー福島』への挑戦を指導者陣から薦められた草野選手。力試しに受験することを決意します。 この年、2008年のセレクションには685名もの精鋭たちが受験し、合格者として残ったのはたったの15名。そして草野選手は、倍率45.7倍の狭き門を見事突破し、北海道の選手として初めてJFAアカデミーに入団しました。 北海道の星として将来を嘱望され、大きな自信を携えて入ったJFAアカデミー。しかし日本各地の天才が集結したチームで草野選手が最初に味わったのは、挫折感だったと言います。 「実力は15人中15番目。みんなすごく上手で、自分が井の中の蛙だったと思い知らされました」 それでも、慣れない洗濯や掃除など身の回りの事もこなしながら、悔しさをバネに自主的に朝練をしたりと努力を続ける日々。すると、中学1年の終わりには、将来の日本代表選手を育成するJFAエリートプログラムに選出。2年時にはボランチとしてエリートプログラムやナショナルトレセンで活躍し、FWに戻った3年時ではU-15日本代表キャンプに招集され、天賦の才能を発揮していきました。
高校時代はBチームからのスタートとなりましたが、1年時終盤にAチームへ昇格。プレミアリーグ参入戦で出場し、2年時には主力として活躍することを周囲に期待されていた草野選手。しかし、全国トップレベルの高校やJクラブが対戦するプレミアリーグでは、まだ通用せず、再びBチームに降格してしまいます。ところが、そこで待っていたのは、自身のFWの概念を覆すスペイン人指導者との出会いでした。 「いつも僕に付きっきりでFWとして育ててくれました。僕が持っていたFWの概念がめちゃくちゃ変わりましたし、能力も上がって、全てを教えて貰ったと感じています。すごく有り難かったですね」 ゴールの成功率を上げるデータ、最適なポジショニングなど点を取ることへの逆算の仕方、ストライカーが持つべきメンタリティーなど、あらゆる観点や角度からFWというポジションを欧州仕込の指導法で学び、一回り大きく成長を遂げていきました。 そして、迎えた高校3年時にはキャプテンに就任。クラブユース大会で得点を量産する活躍を見せ、Jクラブからのオファーもありましたが、希望するカテゴリーではなかったため大学進学を決意。限りある選択肢の中から、関西のサッカー強豪校・阪南大学で4年後にプロを目指すことを決断したのでした。
度重なる怪我を乗り越えゴールを量産
大学サッカーを代表する選手として注目
「FWは数字でしか評価されない。ゴールだけにフォーカスして結果だけ求めよう」 そう意を決して挑んだ大学サッカーの舞台でしたが、1年生では異例の開幕スタメンを掴む直前にポジションを奪われ、その後ベンチを温める時間ばかりが続きます。 「何のために親元を離れてJFAアカデミーに行ったのか。青春時代を削って、大変な思いをして、大学に来たのか。これでプロになれなかったら絶対後悔する。いま自分にやれることをやろう」と原点に立ち返り、ひたすらサッカーと向き合う日々。 そして翌年、2年生になった草野選手に主力FWの怪我でチャンスが巡ってくると、ここから次第に本領を発揮。関西学生サッカーリーグで連続ゴールを決めると、得点ランキングでも上位の成績に名を連ねるように。 「この時が分岐点となった年です。ゴールにこだわってやって、初めて自分の中で年間通してゴールを取れる感覚を得ました」 3年生になっても序盤から更に上昇気流に乗り、重要な試合でハットトリックを決めるなどゴールを量産していた草野選手。ところが、ここでまさかのアクシデントに見舞われました。 左肩の脱臼。7ヶ月間もサッカーが出来ない状況に陥ります。 それでもなんとか復帰した直後、今度はインカレ(全日本大学サッカー選手権)の開幕直前で捻挫により再び離脱。大事な一年間をほとんどプレー出来ずに終えました。
辛酸を嘗めた大学3年生での一年間。しかし最終学年となり再びピッチに戻ると、前年の鬱憤を晴らすかのような大躍進を遂げます。 デンソーカップで活躍し、大会ベストイレブンに選出。全日本大学選抜にも選ばれ、リーグ戦では年間21得点を挙げるなど、大学サッカー界を代表する選手として多くの注目を集める存在となりました。 そして複数のJクラブから熱視線を送られた草野選手は、横浜FCへの加入内定を得て、遂に念願のプロの道を切り開いたのです。
ブレたり、苦しい時期は原点に立ち返ろう!
飛び抜けた武器を作ろう!
そして、負けず嫌いであれ!
サッカーを始めてからプロになるまでの短いようで長い道のり。その間、目標がブレたり、他の楽しいことに惹かれたり、苦しい時期が必ずあるもの。そんな時はどうしたら良いか、草野選手は子どもたちにアドバイスを送ります。 「僕自身、小さい頃からサッカー選手になりたいという強い意志がありながらも、紆余曲折があり、常に自分と戦っていました。『違う道に行っている』『ズレているな』と思った時は、一回冷静になること。プロになるためにやるべきことに時間を使うのが大事だと思うんです。だから悩んだときはその都度、原点に立ち返って自分を見つめてみてはと思います」 そして『負けず嫌い』であることも重要。「同じチームに上手くて威張っている奴がいたら、そいつを黙らせるぐらい自分のほうが上手くなるしかない。そういう気持ちが大事。単純と思うかもしれませんけど、ある意味、サッカー馬鹿になることも必要です」と続けます。 プレー面では、『武器を作って磨くこと』を強調。 「例えばFWだったら、ひたすらシュートをして、ドリブルで仕掛けて、自分の得点パターンとゴールへの感覚が身に付くまでひたすらやり続けること。突出した武器を磨き続けることがすごく重要です。自分を振り返ってみても、小中学生の頃に、そんな練習をもっとやっていれば良かったなと思っています」 止める、蹴るなどの基礎技術はもちろん必要ですが、突出した特長を持つことがプロになる鍵だと明かす草野選手。 「『あいつ下手だけど、めっちゃ点を取るよな』みたいな選手が僕自身は好き。飛び抜けたものを持っている選手の方が見ていて面白いですよ」
家族水入らずで県内各地のスポット巡り♪
バリスタ並の通な淹れ方でコーヒーを堪能
オフの日は、家族と外出してアクティブに過ごすという草野選手。 ひたち海浜公園でピクニックをしたり、PR大使を務める常陸太田市の道の駅の公園でお子さんと遊んだり、大子町の袋田の滝などの観光地巡りを満喫したことも。「逆にどこに行ってないかな?と思うぐらい色んな所に行きましたよ」と県内各地のスポットを訪れている様子。 今後チャレンジしてみたいのは果物狩り。茨城の秋の味覚を味わいに家族と出掛けてみたいそうです。 そして、もうひとつのリラックス法は、自宅でコーヒーを淹れること。 水戸やひたちなかなどで評判の珈琲店の豆を購入して、お湯の温度、中挽きや細挽きなど豆の挽き方までこだわったコーヒーを楽しんでいるそう。 「コーヒーは毎日飲んでいます。カフェなどで美味しいコーヒーに出会うと、温度や挽き方とかをお店の方に聞くんです。その淹れ方を参考にして家でも楽しんでます」と日々、バリスタ並の通な飲み方に挑戦しているのだとか。
後半戦はこれまでの積み重ねが発揮され、4年ぶりの3連勝、無敗記録を10試合に伸ばすなど勢いを取り戻しつつある水戸ホーリーホック。2023シーズンも残り5試合となり、ここからひとつでも上の順位を目指して上位チームとの連戦に挑みます。 「皆さんの心を動かすような熱い試合をしたいと思っています。ピッチで一緒に戦ってもらえたら嬉しいです」と呼びかける草野選手。 激戦必至の最終章!ホームのケーズデンキスタジアム水戸で、チームの勝利を後押ししましょう!
水戸ホーリーホック公式サイト
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