古河歴史博物館(コガレキシハクブツカン)
歴史の街古河に建つ土蔵風の歴史博物館。
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古河歴史博物館
古河城の跡地に建てられた土蔵風の白壁に瓦屋根の博物館が「古河歴史博物館」です。周辺景観を生かし吉田桂二氏によって設計されたこの建物は、平成4年(1992年)の日本建築学会賞、平成8年(1996年)の公共建築賞を受賞しています。
主な収蔵品は、古河...
GW中に再訪。初訪時は、江戸後期の古河藩主・土井利位の雪の結晶観察図や、利位に仕えた家老・鷹見泉石の関係史料等の観覧程度で時間切れとなったため、今回はその続きの展示(縄文期~近代の古河の概史)を観覧しました。縄文期の古河は縄文海進により臨海地であり、よって貝塚も多く存在すること、古墳期では古墳(群)が約30ヵ所に点在するほど多く、万葉集には「許我(古河)」の地名を織り込む東歌が2首遺り、かつ「許我の渡し」の存在を推定させることなど、古くから古河は大集落地で、かつ名のある交通の要衝として人の往来が盛んな地だったことを想像させます。また平安末期、以仁王に平氏追討の令旨を発出させて源平合戦の端緒となったものの、敢えなく宇治平等院の戦いで敗死した源頼政に関わる神社(頼政神社)や、源義経滅亡を知って行く末を思案したという愛妾・静御前に関わる遺跡(思案橋、光了寺)が市域内にあることも、今回初めて知りました。さらに日本史上、古河が重要になった時代は、やはり室町~戦国期の古河公方5代の時代であると理解しました。なお、江戸期に古河藩医・河口信任が自ら人体解剖し、日本で初めて脳・眼球を、それに各種内臓(食道・気道・小腸・大腸・膀胱等)を彩色図で記録(解屍編)していたという展示は、「解体新書」出版に先立つことと相俟って、日本の医学史上における偉業の一つと強く感じました。