弘道館公園
コウドウカンコウエン
旧水戸藩の藩校!つまり、江戸時代の総合大学。国指定特別史跡・重要文化財「弘道館」必見の価値ありです♪
4.8 ★★★★ ☆ 総数58 (12件)
日本最大規模の藩校「弘道館」は1841年、徳川斉昭(水戸藩第9代藩主)が創設した藩校。その建学の目的は、「教育によって人心を安定させ、教育を基盤として国を興す」というものでした。弘道館は儒学教育を基盤としながら、きめ細やかな教育体系を備えていました。弘道館建学の精神は、天保9年(1838)に斉昭の名で公表された「弘道館記」に、「神儒一致」「忠孝一致」「文武一致」「学問事業一致」「治教一致」の5項目として示されています。弘道館では藩士とその子弟が学び、入学年齢は15歳、そして生涯卒業はなかった。学問と武芸の両方が重視され、多様な科目が教えられました。
藩主の来館や正式な行事に開門しました。こちらは国指定重要文化財になっています。
おすすめポイント・メニュー
諸役会所(しょやくかいしょ)来館者控えの間、床の間の「尊攘」の掛け軸もスゴイ!! 水戸藩の藩医で能書家で知られた松延年の筆で斉昭の命で書かれましたが、この文字を見ているととても身が引き締まります。
基本情報
| 住所 | 〒310-0011 茨城県水戸市三の丸1-6-29 |
|---|---|
| アクセス | JR常磐線「水戸駅」北口より徒歩8分 |
| 営業時間 |
■2月20日~9月30日 9:00~17:00 |
| 定休日 | |
| 駐車場 | 有り |
アクセス
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最新クチコミ
メタボン
投稿日:2025年12月10日
11月中旬土曜、水戸での受験終了後にこちらを初めて訪れました。言うまでもなく、幕末の水戸藩主・徳川斉昭(水戸烈公)が創設した日本最大の藩校・弘道館が遺る地です。学校御殿とも言われる「正庁」内には正席の間(藩主臨席下、文武の試験や諸儀式が行われた場所。床の間には斉昭撰文・書の「弘道館記」碑拓本の掛軸が掛かる)、正庁から長い畳廊下を渡って赴ける「至善堂」内には御座の間(藩主休息所。15代将軍・慶喜が明治元年に恭順謹慎した場所でもある)があり、それぞれ典型的な書院造で質素ながら、襟を正させるような雰囲気であるのが印象的。この他にも見どころが随所にあり、斉昭が偕楽園等に梅を植えさせた趣旨を記す「種梅記」碑拓本や、斉昭が農民への感謝を表したアイコン「農人形」、斉昭が考案・作製させた国内最古の鉄製戦車「安神車」の図面や、未作製ながら潜水艦の図面が興味深いです。特に、正庁・諸役会所(来館者控えの間)の床の間に掛かる「尊攘」の掛軸(書は斉昭側医・松延年による)からは、ここが幕末水戸学の牙城であったことを改めて思い出させます。しかしながら、水戸学を基礎とした尊王攘夷(尊攘)思想により、水戸藩は逸早く幕末・維新期をリードするような優れた人材を輩出し得たにも関わらず、藩内の内紛(桜田門外の変、天狗党の乱等)により、多くの有為な水戸藩士が次々に斃れてしまいました。結果、明治初期以降の国家建設に水戸藩は殆ど関与できなかった事実も併せ考えると、水戸弘道館発の思想は他藩に継承され、維新が成ったとは言え、なんとも虚しいと思わざるを得ませんでした。
ドムドム
投稿日:2025年11月22日
弘道館を初めて訪れました。「徳川斉昭と農人形」の企画展をやっていて、とても興味深く見学しました。斉昭公が農人形に込めた思いや明治以降の農人形の歴史が詳しく紹介されていました。来年3月迄の会期です。表情豊かな農人形、必見です!!
エッポ
投稿日:2025年02月14日
弘道館を見学・散策しました。館内随所に徳川斉昭公の思いが感じられます。書院造りの建築も素晴らしいです。この時期、合わせて偕楽園も立ち寄りたいと思いました。