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第三部 2011-2018 震災を経て、この街のために
東日本大震災、苦境の残留争い
数々の困難を乗り越えたレジェンド達が登場
トークイベント第三部は、推しレジェンド選手権の上位にも選ばれた本間選手、三島選手、船谷さん、鈴木さん、そして元選手の飯田優二ジュニアユース監督が登壇しました。
東日本大震災を経験した水戸ホーリーホック この時代を語るうえで決して外す事ができないのが、2011年3月11日の東日本大震災。リーグ戦を翌日に控え、ちょうど練習中だったチームは水戸市河和田町のツインフィールドで震災を経験しました。 「大きな揺れがあって『大変だ』とみんな動揺していたのですが、当時は元日本代表キャプテンの闘将・柱谷哲二監督の時代。とんでもなく強い余震が続くなかでも「明日のJリーグはやるかもしれない」と練習を続けていましたね」と振り返る本間選手。 「でも、さすがにスタッフが練習を中止にして、その後、最初に控室から逃げたのは柱谷さんでした(笑)。切り替え早い(笑)」とユーモアたっぷりに当日の様子を伝え、会場の雰囲気を明るくします。
当時を振り返る本間選手 日本サッカー界のレジェンドでもある鈴木さんは、震災を機に、故郷・茨城にある水戸ホーリーホックへ加入した一人。 「被災したチーム、水戸市、茨城県に貢献したい気持ちで始めましたが、結局、一番自分が応援されて、サッカー選手を4年も続けさせて貰えました。何かしたかったのに、皆さんからいろいろと力を貰えて、感謝の気持ちで常にプレーしていました」 当時、全国ニュースで驚きを持って伝えられた鈴木選手の水戸への加入。被災したファン・サポーターたちの心からの声援に、実は複雑な心境であったことも語られました。
日本サッカー界のレジェンド鈴木隆行さん 時は過ぎ2015年。ホーム最終戦まで残留争いを繰り広げた苦しいシーズンは、コンサドーレ札幌とのホーム最終戦の終了間際、三島選手の劇的ゴールによって残留を決めました。
2015年J2 第41節 後半アディショナルタイムに三島選手のシュートがゴールネットを揺らし、水戸のJ2残留を決めた 「残留争いの辛い年だったので、喜びが爆発した瞬間でした」と三島選手。そのゴールをアシストした船谷さんも「辛いシーズン」と評しつつ、同学年で共にプレーした岩尾憲選手(現徳島ヴォルティス)、馬場賢治さん、田中雄大さんらと一緒にチームをまとめ上げ、「周りが助けてくれた部分が大きかったです」と、あの年を懐かしそうに語ります。
三島選手の劇的ゴールをアシストした船谷さん そして話題は、この頃の「思い出のゲーム」に。島田監督は2012年のアウェイ湘南ベルマーレ戦、飯田監督は自身が出場したホームの鳥取戦を挙げ、「震災から再開された時期のゲームでしたから感慨深く、自分たちがサッカーをやっている意義を感じた試合でした」と思い返していました。
震災後のゲームの思い出を語る飯田優二監督 そして当時、水戸のエースとして活躍した三島選手の忘れられない試合は、シーズン途中で松本山雅FCに移籍する直前のホーム町田ゼルビア戦と、移籍直後の古巣・水戸ホーリーホック戦。 「あの時ほど、あんなすごい感情でやった試合はないです。町田戦ではウォーミングアップでサポーターの皆さんが横断幕や応援歌を歌ってくれた時点で泣いていて、終わった後も泣きながら挨拶しました。僕にとって一番思い出深いシーンですね。それで移籍してホーム一発目の試合が水戸戦ですから、こんな気まずい試合はなかったです。感情的にも難しい試合でした」
忘れられない水戸のファン・サポーターへの思いを語る三島康平選手
第四部 2019-2024 未来に立ち向かえ
躍進した2019年
コロナ禍から降格危機の苦難を乗り越える
第四部には「あの2019年」を経験した現役メンバーが登壇 トークリレーの最後は、2019年から在籍する村田航一キャプテン、2018年~2019年に在籍し、2024年も水戸に戻りプレーする黒川淳史選手、『バンディエラ』本間選手の3人が、クラブ史上最高順位を記録した2019年とその後のコロナ禍、そして現在について語りました。 勝ち点と得失点差に並びながらも総得点わずか1ゴール差でプレーオフに届かず、最終節後の瀧澤修平選手のヒーローインタビューが涙を誘った2019年。
2019年J2 第42節(水戸1-0岡山)DF瀧澤選手のゴールでプレーオフ進出に手を掛けた水戸だが、僅か得点1差及ばず涙を飲んだ
「最終節の岡山戦のスタジアムは忘れられない。水戸史上最高の雰囲気でした。あれを越えたいなという思いです」と言葉に力を込める本間選手。 当時大卒ルーキーだった村田選手は「僕もあの景色をもう一度観たいと思ってサッカーをやっています。プロ一年目の年の喜びもあり、ユニークで素晴らしい先輩達がたくさんいらっしゃって、怒られたりもしたけれど、楽しい経験ができました」と語り、黒川選手は「当時は小僧だったのですが、皆さんに助けてもらって活躍できたと思います」と振り返ります。
長谷部茂利監督(現アビスパ福岡監督)の指揮のもとクラブ史上最高の7位に躍進した選手たち
ホームで行われた最終節には8,575人もの大観衆が詰めかけスタジアムを揺らした 気持ちを新たに、再びプレーオフ進出を目指した翌年2020年。世界中で猛威を振るった新型コロナの流行が国内にも広がると、その影響でリーグ戦の中断、応援の中止などを余儀なくされた異例の時期。 「無観客は特にきつかった。いつまで続くのか、また元に戻るのか分からず、毎回練習試合をしているようで面白くなかった」と本間選手。 「選手からも『サッカーやっている場合か?』という疑問の声が出て、僕自身もサッカー選手の存在意義を考えたり、無力感も感じた」と話すのは村田選手。再開した時には「サッカーをやれるのは当たり前じゃないと感じられました。振り返れば、自分の源になるような時間になったと思います」と心境の変化がありました。
コロナ禍の心境について語る様子 そして現在。2015年以来の降格の危機に瀕しているチームは『J2残留』を最大のミッションとして残り13試合を戦います。 今回のイベントを冒頭から見ていた村田選手は「自分達が長い歴史の一端を担っていると感じましたし、絶対に水戸を降格させてはいけないと感じました。ここから上にあがっていきたいという気持ちが改めて沸きました」と意気込みを語ります。
J2残留への思いを語る、村田航一選手 また終盤戦のキーマンとして期待される黒川選手は「今季はこれから巻き返し、J2に残留したいです。水戸はこれから2019年を越えるシーズンを過ごさなければいけないですし、絶対にできると思います。『2024年があったからこそ、水戸が良くなった』と言われるようなシーズンにしていきたいと思います」と決意を口にします。
終盤戦のキーマンとして期待される黒川淳史選手 ミスター・ホーリーホックの本間選手は「30年という長さと重さと、繋いできてくれた人達に感謝の想いが更に沸きました。皆さんの力は本当に大きいので、これからもともにクラブと歩んでくれたら幸せです。これからもよろしくお願いします」と周囲への感謝を述べました。
(写真左から)本間幸司選手、村田航一選手、黒川淳史選手
一歩一歩前進し100年続くクラブの礎を築く 森直樹監督が絶対残留への固い決意を表明 水戸ホーリーホックの選手として3年、指導者として19年に渡り力を注いだ森直樹監督は、サッカー人生のほとんどをこのクラブとともに歩んで来た一人。 「クラブ30周年の節目で監督をやらせてもらい、非常に責任を感じています。ただ僕は一切、下を向かず、常に前を見ています。今までチームを支えてくれた素晴らしい選手達、チームスタッフ、パートナー企業様、各行政様、地域の皆様、そしてここにいるファン・サポーターの皆様がいるから、今後もしっかり戦っていけると思っています。絶対にJ2に残留して、来年もまたこの舞台で戦います。そして、来年はもっと上を目指せるように成長していきたいと思います。悪い状況ですが、一緒にチームと前を向いて、上を向いて戦ってください。これからも応援よろしくお願い致します」と水戸ファミリーに共闘を呼びかけました。
森直樹監督 また、小島耕社長は「クラブは苦しい状況を迎えていますが、森が力強い言葉で絶対に残留させると言ってくれました。現場のリクエストに応えながら、現場を信じて、少しでも残留に近付けるよう、1%でもその確率を上げられる仕事をしていきたいと思っています」と残留への意気込みを語ります。
小島耕社長 Jリーグは責任企業を持つクラブが増え、クラブの生存競争が激しくなる昨今、常に攻めの経営を続ける小島社長は「新潟や甲府など、我々の後に生まれたクラブがJ1に行き、アジアに行っています。水戸はできますか?やりましょうよ、皆さん!」と呼びかけると、会場には賛同の拍手が。 「このクラブは皆さんのもの。地域の宝であって欲しいです。クラブが強くなり、J1に行くことも大切ですが、31年、50年、100年と続く礎をしっかり作っていくことも大事です。一歩一歩の前進を毎日作っていきたいです。引き続き、熱く長いサポートをお願いします」と語り、イベントを締め括りました。
水戸ホーリーホックは、約3週間のサマーブレイクを経て、8月3日のアウェイ、V・ファーレン長崎戦から再開するリーグ戦に挑み、2-1で勝利を収めました。先人達が紡いだ30年の歴史を未来に繋ぐ戦いは、まだまだ続きます。 前編の記事水戸ホーリーホック30周年記念イベント ~前編~はこちら
水戸ホーリーホック公式サイト
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