縦横無尽に切り裂く水戸のスピードスター!
サッカーとの出会いは祖母の一言
50メートルを5秒台で走り切る韋駄天のMF新井晴樹選手は、左サイドを縦横無尽に駆け抜ける高速ドリブラー。2024シーズン不動のレギュラーとして今季を彩った水戸のスピードスターです。 そんな新井選手がサッカーを本格的に始めたのは、小学2年生と少し遅め。きっかけは家族のある一言だったと言います。 「祖母が地元クラブでサッカーをやっている息子さんがいる同僚から話を聞いて、『晴樹も参加してくれば?』って勧めてくれたんです。元々運動神経が良くて、ボールを蹴るのは好きでした。幼稚園から習っていた水泳も選手コースにいけるぐらいの記録は出ていたのですが、別にそんなに好きではなかったんですよ。それで参加してみたら、すごく楽しくて。その日の内に『ここに入る!』って決めたんです」
埼玉県深谷市にあるサッカークラブ「FCチベッタ深谷」は、県大会にも出場していた地域の雄。当時から他の追随を許さぬほどの俊足だった新井選手は、今と変わらぬプレースタイルで始めたばかりのサッカーを謳歌していきます。 しかし、サッカーはチームスポーツ。若き新星が一人いたとしても県大会では上位チームになかなか勝てませんでした。「『地元じゃ一番上手いけれど、上には上がいるんだ』と痛感しましたね。だから、モチベーション高く練習に励むことができました」とさらに奮起していきます。
中学時代は「FCチベッタ深谷」の中学生チーム「FCアウル」に所属した新井選手。 「もう覚えていないぐらい結果が出ず、わがままなプレーばかりしていました。」 実はこの3年間は思い描くような成績を出せず、学校生活では道を踏み外しそうになった時期も…。 「でも、上位のチームとの試合や実力がある選手と比べて、『僕もまだまだだ』と意欲的にサッカーをやれていたし、チームのスタッフが厳しく指導してくれたお陰で人間的な成長もできたと感じています」
そして、サッカーへの情熱や向上心を絶やすことなく、進学先に選んだのは埼玉県深谷市にある正智深谷高校。県内で天才と呼ばれてきたメンバーが集結し、多くのJリーガーを輩出している名門です。 「なぜか自信があって、『僕より上手い奴はいないな』って思っていて。プロになりたいという気持ちが本格的に芽生えましたね」 高卒でサッカー選手になることを目指していた新井選手は1年生の頃から主力メンバーとなり、2、3年生では全国高校サッカー選手権大会にも出場。2年次は初戦敗退となりましたが、3年次はベスト8入りに貢献しました。
「各都道府県のトップ校と対戦して、めちゃくちゃ面白かったです。自分のレベルが全国でどれだけ通用するのか分かったけれども、改めて『まだまだなんだな』と思いましたね」と新井選手。 その後、自分はまだプロの水準には達していないと痛感し、サッカー強豪大で高校の恩師の母校でもある国士舘大学で武者修業する選択をします。
「プロになる実力が絶対にある」
信念を貫き、JFLからJ1でプロ契約を獲得!
「あの頃にはもう戻りたくない、絶対に嫌ってぐらいキツかったですね」と苦難の連続だった大学時代を振り返る新井選手。 スタートからトップのAチームに所属していましたがリーグ戦には出場できず、不完全燃焼の一年間を過ごすことに。2年生の夏頃から試合に絡めるようになりましたが、残念ながらスタメンではなくスーパーサブとしての起用。それでも、持ち前のスピードは相変わらずトップクラスで、「誰にも負ける気はしなかった」と語ります。 そして3年次は自ら志願してBチームで研鑽を積み重ね、最終学年の4年次はトップチームに返り咲きますが、スタメンとして公式戦に出たのは3試合程度。待ち焦がれていたJクラブからのオファーはありませんでしたが、新井選手は決して揺るがぬ信念を持っていました。 「自分にはプロになる実力が絶対にある。自信しかなかったです。だから、大学でサッカーを辞めることはできなかったですね。」そう振り返る新井選手。大学卒業後、JFLに所属する大阪の社会人チーム「FCティアモ枚方」に入団し、再びJリーガーを目指すことを決めました。
社会人チーム時代、平日の午後は大阪府枚方市にある注文住宅の工務店「(株)匠建枚方」で働き、新築現場の掃除やビラ配りなど社内の雑務をしながら、懸命にサッカーを続けていた新井選手。多大な応援と全面的にサポートしてくれる温かな職場に恵まれたと言います。 「職場の人が本当に応援して支えてくれて、有り難かったです。時間を少しも無駄にできないと思いました。絶対にプロになって、有名になって結果を残して、恩返しがしたいと思いましたね。今でも移籍や結婚など節目には必ず連絡をしていますよ」
JFLからプロ契約のチャンスを掴もうとする中、早速、運命の一戦が訪れます。それは、入団して間もない頃に行われたセレッソ大阪とのトレーニングマッチのことでした。 試合中、新井選手は持ち前の高速ドリブルを発揮し、J1相手に得点を奪うなどの活躍で猛アピール。すると、当時のレヴィー・クルピ監督の目に止まり、練習参加の誘いが舞い込みます。そして一週間の練習参加で最終判断された後、7月の移籍ウィンドウが開いたと同時に、セレッソ大阪へのレンタル移籍が決定。JFLからの大抜躍によって、念願のJリーガーとなったのでした。
「決して夢を忘れず、向上心を持とう!」
「メンタルを鍛えよう!」
プロを目指す子どもたちへメッセージ
抱いた夢を決して諦めず、誰よりも己の才能を信じ抜き、異例のルートで新たな道を切り拓いた新井選手。自分と同じくサッカー選手を目指す子どもたちには、「夢を忘れない」ことを第一に伝えたいと語ります。 「夢を持ちながらサッカーをして欲しいです。諦めたらそこで終わり。僕は毎日毎日、『Jリーガーになりたい』という気持ちで挑んでいました。少しでも可能性があるなら、JFLでも頑張ろうと思って取り組んでいました」 “一念岩をも通す” それを自ら体現してきた経験から、強い信念を持つ必要性を強調しています。
また、「どんな状況や環境でも耐えられるメンタルを鍛える」「向上心を忘れない」ことも指摘し、「小中高校ではキツイ走りのトレーニングもあると思いますが、頑張ってやり遂げましょう。基礎的なメンタルを鍛えるためにも、めちゃくちゃ大事ですよ」とエールを送ります。
そしてもう一つ、ゴールに向かってピッチを駆け上がる高速ドリブルは、サッカーの花形の一つ。新井選手のようにチームを勝利に導くドリブラーとなるための秘訣とは? 「目標の選手のプレー集を繰り返しチェックして、ひたすら真似をするのが一番です。スピードに関しては生まれつきの部分も大きいので、トレーニングすれば速くなるとは一概に言えませんが、僕に関して言えば、90分間走っても落ちない運動量と、相手を抜き去るドリブルが特長です。小さくてもフィジカルを鍛えれば球際で勝てるプレーを観て欲しいですね」と語ってくれました。
選手御用達カフェで過ごす夫婦水入らずの休日
チームメイトやその家族との交流も
今年7月末、晴れて入籍を発表した新井選手。 奥様の愛情がたっぷり注がれた手料理の支えもあり、結婚後はプレーにますます磨きがかかり、コンディションもうなぎ登り!
オフは夫婦水入らずで過ごすことが何よりのリラックスタイムで、最近のお気に入りは昨年水戸市にオープンしたばかりのオシャレなカフェ「HITACHINO COFFEE」。 「アサイーボールなどのフードもあるし、コーヒーも美味しい。雰囲気も良くて、ゆったりできるんです。僕は何も飼っていないんですがペットの同伴もできるんですよ。犬を飼っているアツ君(黒川淳史選手)の奥さんとうちの奥さんが仲良しなので、アツ君ファミリーとよく一緒に行きますね。この前のオフも奥さんがアサイーボールを食べたいというのでオープンと同時に行ったら、タファ(長澤シヴァタファリ選手)も来ていましたよ(笑)」 選手御用達のカフェでチームメイトやその家族と交流しながら、休日のひとときを過ごしているのだそう。
今年、新井選手は海や山の自然に恵まれた日立市のPR大使務め、「機会があれば、奥さんと日立の海や美味しいご飯屋さんを堪能したいです」とオフの候補先の一つとして挙げているようです。
疾風怒涛のドリブルで勝利を手繰り寄せる
スタジアムで熱い応援を送ろう!
今季のホームゲームも残すはラスト一戦。11月3日(日)のリーグ第37節はプレーオフ進出が懸かるモンテディオ山形との激闘が予想されます。水戸としてもチームや選手としての価値向上を目指して一つでも上の順位を駆け上がるためにも、絶対に負けられない試合です。 新井選手は「今年は厳しい状況が多く、なかなかファン・サポーターの皆様を楽しませる時間が少なく、ハラハラさせてしまうようなシーズンでした。ホーム最終戦はチームにとっても本当に大事で、絶対に勝利して終わりたいです。そして今シーズン応援してくれた方々への恩返しをするため、試合に挑みたいと思います」と意気込んでいます。 また、モンテディオ山形との一戦は、今季限りで現役を引退するレジェンドGK本間幸司選手のホームラストゲームとなります。11月3日(日)、ホームのスタンドを蒼く染めて、チームの勝利を後押ししましょう。