(※内容は2017年10月25日時点のものです)
中国太湖豚(たいふうとん)系の原種豚で、西遊記に登場する猪八戒のモデルになったともいわれています。皮膚は黒く、大きく垂れた耳にシワのよった顔が特徴です。
梅山豚はかつて中国から日中友好の証として、パンダに続いて寄贈されました。子どもをたくさん産む多産系の豚で、粗食に耐える品種のため、人類と共存し、世界を救う豚として注目を集めました。赤と白の美しい霜降りと、深みのある豊かな味わいが特徴で、その美味しさこそが幻の豚と呼ばれる由縁でもあります。
しかし梅山豚の飼育は非常に難しく、本場中国でも絶滅が危惧される品種となってしまい、1990年以降輸出が禁止となりました。そのため、現在日本国内に存在する梅山豚原種豚は塚原牧場と農林水産省で飼育されている100頭のみとなってしまいました。
写真は成年に達した梅山豚のメス。通常の豚は5ヶ月程で市場に出ますが、塚原牧場では10ヶ月もの月日をかけて育てられているため、豊潤で深みのある味わいとなります。
塚原牧場の創設者である塚原昇さんに梅山豚を飼育することになった経緯を伺うと、あるテレビ番組で『梅山豚が地球を救う』という特集を見たことがきっかけとのことでした。
番組では、世界で最も多く子豚を産み、人間が必要としない食料で育つ豚として梅山豚が紹介されていました。人口が増え続けた地球を救うのは梅山豚だと確信した塚原さんの父は、中国へ向かい、何度も現地を訪れ、最終的にメス10頭とオス2頭を輸入してきたといいます。
しかし、前例のない梅山豚の飼育は想像を超える難しさだったといいます。一般的に豚は10頭程度の子豚を産むといわれていますが、梅山豚は15〜20頭もの子豚を出産します。
塚原牧場では過去最高で23頭産んだ例もあるそうです。人間でいうと、5つ子が産まれているのと同じ状況なので、未熟児がたくさん産まれてしまうことになります。するとおっぱいにありつけず、力尽きた子豚が次々と死んでいってしまいます。また、成年に達した豚でも、気温の急激な変化についていけず、風邪をひいてしまって、重度の肺炎を引き起こし、死に至るケースも多いといいます。
塚原さんは「梅山豚は育てるのが非常に難しく、特徴を掴むまでに何年もかかりました。現在も試行錯誤中です」と笑います。
株式会社塚原牧場 代表取締役 塚原昇さん
2002年に塚原牧場を立ち上げた塚原さん。当時は梅山豚の注文はまったく入らなかったといいます。今では和牛にかわる高級豚肉として全国から注文が殺到。
研究を重ねた飼料の数々。塚原牧場では、廃棄食品から飼料への転換や、自家栽培飼料への着手など、常に新しい飼料作りに挑戦しており、ブレンド飼料も日々進化しています。
10種類以上の飼料をブレンドして作られているこだわりの飼料
牧場を立ち上げてから社会人大学院生として筑波大学に通い、リサイクルの研究を進めていた塚原さん。梅山豚の雑食性に着目し、食品工場の製造過程で出る残った材料を再利用して畜産飼料をつくることはできないかと考えたといいます。
そうすることで食品メーカーの廃棄物を大幅に減らすことができ、人間と豚が食物を取り合うことなく、畜産用の飼料確保が可能になります。
このリサイクルフローを実現するため、塚原さんは近隣の食品工場に出向き、一軒一軒直接交渉を行ったといいます。
そうした努力が実を結び、麦かすや豆腐の搾りかす、廃棄されてしまうパンの耳や規定品に満たないパスタなど、多くの大手食品メーカーから再利用できる食品副産物を譲り受け、安全かつ栄養価の高い畜産飼料を完成させました。
豚の畜産飼料は通常、ほとんどが海外から輸入した原料で作られていますが、塚原牧場では、3年前からトウモロコシと米の自家栽培飼料に取り組んでいるといいます。輸入に頼らず、自分たちの力で飼料をつくろうと試行錯誤を続けました。
そうしたバランスのとれた飼料を与えられ、すくすくと育った塚原牧場の梅山豚は、美しい霜降りと芳醇な味わいが魅力の最高級豚肉として、一流の料理人や有名百貨店のバイヤーなどの舌を唸らせ、全国にその名を轟かせています。
塚原さんは「輸入に頼る畜産業界の常識に挑戦したいんです。誰も使わなかった飼料で、誰も持っていない梅山豚で、誰も実行したことがないやり方で、これからも挑み続けていきたいです」と力強く語りました。
たくさんの研究と試行錯誤を積み重ね、歩んできた塚原牧場。これからも日々進化を遂げ、梅山豚とともにまた新たな物語を紡いでいくことでしょう。
≪お問合せ≫
株式会社 塚原牧場
住所/茨城県猿島郡境町2170-1
電話/0280-81-3729
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