予科練平和記念館
ヨカレンヘイワキネンカン
クチコミ REVIEW
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修ちゃん
投稿日:2021年09月22日
平和、絶対に忘れてはなりません。是非平和学習に利用していただきたい施設です。広島や長崎まで行かなくても平和について学ぶことができます。鉾田市にも施設ができることを願っています。

修ちゃん
投稿日:2021年01月08日
平和記念館ができて、すぐ見学に行きました。父がシベリアに抑留されており、戦争に関心があります‼️是非一度は見学して、戦争は絶対に起こしては行けないものだと考えてください。

かいち
投稿日:2020年10月17日
多くの方に訪れてほしい所です。 このようないたたまれない歴史があったこと。今平和である事に感謝します。

メタボン
投稿日:2019年04月30日
平成も終幕近くなり、いよいよ昭和は遠くなりにけりの感慨を深くする日、それでも永く記憶すべき太平洋戦争に関わる展示(土浦海軍航空隊や予科練関係)を行っているこちらへ伺いました。連休中でもあり、かなり多くの来訪者の姿が。記念館横の格納庫前には零戦二一型の実物大模型が引き出されており、また庭には人間魚雷回天の模型もあって、それぞれ来訪者が熱心に見入っていました。館内の展示は7展示室に配置されています。最初の「入隊」室には、予科練志望動機についての練習生の回答が掲げられており、少年の夢らしい「空に憧れ、搭乗員を志望したから」が最多の中、「官費で教育が受けられるから」「生活の安定を求めて」と言った、当時の貧困状況を反映してか、親に苦労をかけまい・親を扶けようという孝子的な考えも挙がっていることに胸塞がれる思いがしました(さらに後年には「国を守るため」の回答が増えた)。予科練発足当初は、航空機という当時最先端の兵器を扱うことから、知徳体いずれにも優れた人材が必要とされ、そのため試験は難関・競争率も高いということで、いわゆるエリートを集めた教育機関だったようです。そのような優れた素質を有する少年達に、さらに「起きてから寝るまで訓練」と言うような英才教育を施す(「訓練」室の展示から)のだから、平時であれば殊更に有為な人たちになったろうと思わざるを得ません。しかし、太平洋戦争の推移は知られたとおり。戦局の悪化に次いで空襲被害も拡大、昭和20年6月10日の阿見空襲(300人超死亡)で予科練習生も多く亡くなり(「窮迫」室の空襲映像から)、さらに「特攻」室の映像によれば、航空機による特攻ばかりでなく、もはや航空機とは関係ない人間魚雷回天やボート型特攻兵器震洋、潜水具を着用した人間機雷・伏龍においても、そのほぼ多くが予科練習生から成っていたそうです。予科練を卒業し飛練課程を経て戦地に赴いた約2万4千人のうち8割の約1万9千人近くが戦死したとのこと。多くの将来ある才能が途半ばで散華した無念さに思いを致さざるを得ません。なお「入隊」室で紹介されていた、昭和18年9月封切の東宝映画「決戦の大空へ」には、土浦海軍航空隊内の施設、エキストラ出演の予科練習生による訓練の様子、また土浦城界隈や土浦中(現・土浦一高)も描写されているので、関心ある人には参考になります。

ヤグロ
投稿日:2018年12月18日
年に1度は訪れたい記念館の一つです。そう遠くない過去、日本が他国と戦争をしていた当時の若者の姿が貴重な映像資料とともに残されていて、平和の尊さを感じます。戦争は広島や長崎だけでなく、ここ茨城の地でも起きていた。上空を他国の戦闘機が飛んで爆弾を落としていたという過去。爆弾を積んだ飛行機や潜水艦に乗って特攻に行き、二度と帰らない多くの若者の命。戦争を繰り返さないために、戦争を知らない世代だからこそ、受け止めたい過去です。

チョンボ
投稿日:2018年10月04日
ドライブ中同行する友人が元自衛官だった事もあり興味が有り立ち寄りました。駐車場奥に零戦のレプリカが展示して有ります。この飛行機で強大な敵艦隊に突入していったと思うと戦争の残酷さに震えます。

カムパネルラ
投稿日:2018年05月07日
若者というにはまだ早いような少年達が訓練を受けていたことに衝撃を受けました。いろいろなことを考えさせられました。大勢の皆様に訪れて欲しい施設です。
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