水海道風土博物館 坂野家住宅

ユーザーさんからの口コミ

平均:5.0 5.0 (2
メタボン
メタボンさん
5 投稿日:2022年07月19日
連休中に初訪問。駐車場から敷地表門前にかけて拡がる起伏ある庭園内を歩むと、アジサイがそこかしこに咲いています。重文の表門(薬医門)は茅葺き切妻屋根の実に立派な門。門の左右に続く塀が囲む敷地は約1haと大きい。表門をくぐるとこれまた立派な主屋(重文)が見え、丈の高い茅葺き寄棟造は惣名主格の豪農に相応しい。屋根の天辺に煙出し越屋根が載っているのが印象的です。主屋建坪は約400平米とこれまた大きい。主屋土間で受付し、まずビデオで坂野家の概要を知りました。この地は、江戸時代は下総国岡田郡内の天領で、18世紀初めに約30平方kmの土地の干拓で新田を開発したという。開発責任者の一人が坂野家当主・伊左衛門とのこと。天領ゆえ、派遣された幕府役人等の接遇のために、立派な表門や主屋玄関、座敷間(一の間~三の間)が設けられているのが特徴です。担当者の説明によると、受付やビデオのある土間はコンクリートでなく三和土で、大型竈が設置され、味噌仕込みや風呂への運び湯を沸かしていたとか。広間に上がると、農家の建具として極めて珍しい蔀戸が南側に設えてあります。多スリットのある重ね戸を左右に動かすとスリット幅が変えられ、採光・通風量を可変制御できる仕掛けが巧妙です。屋内側に跳ね上げて吊る形で、社寺でよく見る蔀戸(屋外側へ跳ね上げるのが多い)と違う点も興味深い。座敷・仏間を通って月波楼と称する書院に案内されると、こちらはもともと茅葺き平屋だったのを大正期に瓦葺き二階屋にしたとのこと。幕末期から明治期の11・12代当主は文人趣味が強く、文人墨客を招く場として書院を設けたようで、幕末の勤王派で知られた漢詩人・梁川星巌も訪れたらしい。また書院の浴室のタイルや唐傘天井、それにガス灯が当時のハイカラさを表しています。建物保守上問題となるのは野生動物の侵入で、特にアライグマやハクビシンが荒らすとのことで、捕獲檻が仕掛けられているのも見せてもらいました。なお主屋の帳場には差配(番頭)3人ほどが勤めていたそうで、扱う年貢米や家・田畑管理等の業務が多かったのでしょう。納戸には、坂野家をロケ地とした映画やCM、TVドラマ(NHK大河ドラマ等)のポスター等資料が多く展示されており、周囲の風景も含め雰囲気の良い場所として活用されていることがわかりました。江戸期の豪農の住宅がどういうものかもよく理解できる場所です。
※口コミは訪問当時の情報であるため、実際と異なる場合がございますのでご了承ください。
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