松原 修平(まつばら しゅうへい)
水戸ホーリーホック GK 背番号21
●1992年8月11日生まれ
出身地 北海道
身長/体重 185cm/87kg
血液型 O
利き足 右
加入歴 1年目
経歴 函館シーガル→コンサドーレ札幌ユース・U-15→コンサドーレ札幌ユース・U-18→ファジアーノ岡山→ファジアーノ岡山ネクスト→ファジアーノ岡山→ファジアーノ岡山ネクスト→ファジアーノ岡山→ファジアーノ岡山ネクスト→ファジアーノ岡山→ファジアーノ岡山ネクスト→ファジアーノ岡山→カマタマーレ讃岐→ザスパクサツ群馬→湘南ベルマーレ→ザスパクサツ群馬→京都サンガF.C.→北海道コンサドーレ札幌
幼馴染に誘われ、地元の少年団に加入
「コンサドーレの選手に絶対になる!」
人生を決めた運命の出会い
攻撃の起点となるビルドアップ、1対1のシュートストップ、経験に裏打ちされた状況判断力などに優れ、攻守のキーパーソンとして活躍するGK松原修平選手。今季水戸のゴールを守る守護神とサッカーの出会いは、7歳の時。生まれ育った北海道函館市の幼馴染に誘われ、地元の少年団に加入しました。 それから間もなく、人生を決定付ける運命の出会いを果たします。 函館市内で開催された親善試合でのこと。この日、コンサドーレ札幌の試合を初観戦した松原選手。「函館選抜チームとのフェスティバルのような試合で、多分2、3千人ぐらいの観客だったと思いますが、応援団も来ていて、スタジアムは満員のように見えました。選手達もユニフォームも応援団もすごくカッコ良くて、雲の上の存在でした」と感動を振り返ります。 そして、「コンサドーレの選手に絶対になる!」と人生の目標を定めたのです。
その翌日、コンサドーレ札幌主催のサッカー教室で元日本代表FWのハーフナー・マイク選手と父親であるハーフナー・ディドGKコーチとのPK対決を観戦。シュートを止めるキーパーのカッコ良さが強烈な記憶として残り、守護神への道を次第に志すようになっていきます。
才能を開花させた小学生時代
憧れのコンサドーレ札幌の下部組織に加入
幼少期から身体が大きかった松原選手は、小学2年の夏頃からキーパーのポジションに定着し、3、4年生のゴールマウスを守り、勝利に貢献。当時の函館では5年生以上が市の選抜チーム・函館シーガルの候補となっていましたが、松原選手は4年生からメンバー入りし、6年生では北海道選抜にも選ばれます。
仲間であり、ライバルである選抜メンバーとポジション争いをしながら、道外遠征や冬の全国大会に出場した松原選手。
しかし、サッカーどころの静岡や強豪クラブがひしめく神奈川のチームにボロ負けし、「函館の小さな街の人間が道外に出ると何もできないんだな、と。全国レベルを初めて実感して、挫折とまではいかないですが、こんなに差があるんだと感じましたね」と当時の気持ちを話します。
常に上には上がいる。そんな現実を突きつけられながらも、突出した才能を開花させていった松原選手。 札幌への引っ越しに伴い、更に自身のレベルアップを図るため、憧れのコンサドーレ札幌のジュニアユースに加入しました。
プロへの階段を駆け上がる日々
後にプロの舞台で闘う
ハイレベルな仲間達との巡り合い
北海道唯一のJクラブであるコンサドーレ札幌。その下部組織には道内の精鋭達が集結します。そのため、同学年のキーパーは北海道選抜のメンバーやコンサドーレ札幌の小学生年代から上がってきたハイレベルの選手ばかり。そんな中、松原選手は初めての大会で背番号1の正キーパーを獲得し、上の学年の試合にも出場するようになっていきます。
後にプロになった同学年の三上陽輔元選手、一学年下で現コンサドーレ札幌のキャプテン・荒野拓馬選手らとオフの日もシュート練習などで切磋琢磨し、中学生年代の北海道選抜にも選ばれ、北海道の世代別No.1キーパーとして頭角を現していきました。
しかし、チームは“谷間の世代”と呼ばれ続けた不遇の時代。 「中2の時は全国に行っているのですが、中3の時は北海道の決勝で負けてしまいました。サッカーは上手くなったと思いますが、あまりいい思い出といい成績を残せず、悔しい思いばかりしていました」 その後、更なる飛躍を求めてU-18チームへと進んでいきます。
日の丸を背負ったU-17のW杯予選 中学時代からU-18で練習し、高校世代ではトップチームの練習に参加したり、トレーニングマッチを重ね「ほぼプロの一歩手前」と感じていたという松原選手。 高校2年時には世代別日本代表にも初選出され、柴崎岳選手(現鹿島アントラーズ)や宮市亮選手(現横浜F・マリノス)らとともに日の丸を背負ってU-17のW杯予選に挑み、世界の舞台を経験します。
「監督やコーチから要求されるプレーの基準が世界になった。実際にメキシコやスロバキアなどフィジカルが強い世界の選手と対戦し、全然いいプレーができず、まだまだ甘かったと痛感しました。結局U-17のW杯にも出られず、自分のメンタルの弱さも感じました」 中学時代と同様に、自分が一番だと思っていたら、更に上がいることを思い知らされる苦い経験をした大会でしたが、人としてサッカー選手として成長の糧となる経験にもなりました。
『プロになりたい』ではなく『プロになる』
強い覚悟を持って過ごした日々
チームに戻り再スタートを切った松原選手。後にトップチームに昇格したストライカーの横野純貴元選手(現コンサドーレ札幌フロント)や、札幌のバンディエラとして現在も活躍するMF宮澤裕樹選手ら錚々たる先輩たちの強烈なシュートを受けながらスキルを磨く日々を送ります。また、札幌ユースの正GKとして努力する姿を間近に見てきた実力ある先輩が昇格できなかったことも、自身がプロになるための明確な物差しとなりました。
高校3年時には2種登録選手となり、高卒でトップ昇格への期待が高まりましたが惜しくも叶わず。しかし、大学進学に舵を切ろうとする矢先にファジアーノ岡山から獲得のオファーが舞い込み、Jリーガーとしてプロの舞台に立つチャンスを掴みました。
やがて、さまざまなカテゴリーでのプレーや苦労を経験し、紆余曲折を経て選手としても一人の人間としても一回り大きく成長した松原選手。人生を決めた小学1年のあの日から四半世紀後、念願が叶い、故郷のコンサドーレ札幌の選手になる目標を、遂に達成したのでした。
「サッカーをとことん好きであれ!」
「圧倒的な練習量で質を生み出そう!」
プロを目指す子どもたちへメッセージ
そんな険しく厳しいサッカー選手への道を自ら切り拓いた松原選手が、プロを目指す子どもたちに伝えたいメッセージとは?
「まず大前提として、自分がやっているスポーツを好きでいることです。やはり嫌いなことは努力できないので、まずは好きになることが必要です。自分も好きになれないことが時々ありますよ。メンバーに入れなかったり、試合に出られない時間、グラウンドに行くのもちょっと嫌という時が。でもグラウンドに立つと、やっぱり好きだなと思えてしまうんです」
プロの必須条件である技術に関しては、「質は圧倒的な量からしか生まれない。よく怪我するまでやるなといいますが、怪我してでもやりすぎるぐらいやれと思っています。暇があればボールを壁に当てて蹴ったり、誰かにシュートを打ってもらったりしていました。何か指導を受けたからプロになれるのではなく、いかに空いた時間をサッカーに注ぎ込めるかが大事です。たくさんサッカーを見て、まずは真似事から入ってもいいので、そこから自分の蹴り方など見つけていければ上手くなると思います」と持論を披露。
キーパーはキックの精度を磨こう!
ライバルを定め、ボールを怖がらない気持ちを大事に
特にゴールキーパーを目指す子達に幼少期から磨いて欲しい技術は、キックの精度。「飛ぶ飛ばないは別にいいので、狙ったところに蹴れることが大事。自分の蹴り方を探ることですね。これは一人でもできるので、ぜひ磨いて欲しい部分です」と推奨します。
また、負けず嫌いであることや、自分のものさしとなるライバルを決めることも重要だと語ります。
「函館選抜、北海道選抜、日本代表、世界各国の代表、それぞれで上手い選手を見てきたので、『今の自分じゃ駄目だ』とずっと感じてきました。学校、少年団やクラブの中の上手い子と比べて、帰宅後も意識しながら取り組めば、成長する度合い、スピードが違うと思います。それはプロになった今でも変わらない。1個上の学年を見て、体験して、そういう環境にどんどん自分を追い込んでいくことが大事だと思いますね。絶対に現状に満足してはいけません」
そして、ボールに対する恐怖心を払拭することもプロの必要な能力。
「プロのフィールドプレーヤーでも顔や身体を背けて尻で受けたりする選手がいるのですが、ボールを怖がる選手はよくない。恐怖心ができる前に、ジャージに穴開けるぐらいスライディングして、ブロックをする。怪我もすることはありますが、サッカーでは死んだりしません。怖がらない気持ちの部分を大事にして欲しいです」
松原選手自身が小学生時代から取り組んで来た、目標達成後の“ご褒美”も一つの上達方法だと語ります。 「教育上はよくないかもしれませんが、僕の場合は、勝ったら焼き肉に連れて行ってもらえる、スパイクのグレードがワンランクアップしてもらえる、選抜に上がれたらiPodを買ってもらえるといったように、ご褒美が欲しくて死ぬほど頑張って来ました。負けたら何も得られず、次に繰り越し。勝ったら得られる。プロの世界と一緒のことを小学生の頃からやって来ました。これも一つありかなと思います」
オフは茨城県内の駅周辺を家族で散策♪
Jリーガー屈指のプロレスファン!
レインメーカーポーズをイベントで披露
昨年に第一子となる男の子が誕生し、幸せいっぱいの松原選手。普段はチワプー(チワワとプードルのミックス)のヒンナ君を連れて、自宅周辺や水戸市内を散歩するのが日課ですが、オフの日は茨城県内各地の駅周辺を散策するのが定番になっているのだそう。
「ひたち海浜公園や袋田の滝などの観光名所も行きましたが、すごくレトロな街や行ったことのない、聞いたことのない街の駅に車を停めて、駅前を散歩するのが好きなんです。この前は霞ヶ浦の湖畔や結城市のほうで古い町並み、商店街を歩いてきました。PR大使になっている常陸大宮市もこれから色々と回ってみたいと思います」
家族想いの松原選手は、試合後やオフ前の奥様との二人きりの晩酌、双方の親兄弟らとの家族団らんもいつも心待ちにしているとのことです。
また、松原選手はJリーガー屈指のプロレスファン。 プレシーズン中に開かれた『ホームタウンPR大使ドラフト会議』の時は、大人気レスラーのオカダ・カズチカ選手の決め台詞「金の雨を降らせる」とともにレインメーカーポーズをするなど、会場を大いに沸かせたことも。 現在は子育てに専念中で試合を観る余裕がないようですが、最新情報は常にチェックしているそうです。
体を張ってセーブするシーンに注目!スタジアムの熱い応援で松原選手を後押ししよう! リーグは後半戦に入り、チームは上位浮上を目指して奮闘中です。 「上手いプレーは見せられないかもしれませんが、気持ちを入れて、根性を出すところを見て欲しいと思います。ゴール前で体を張って仕事しているところを見て欲しいですし、僕がしっかり守れるようにキーパー4人で力を合わせて頑張ります。ゴールシーンだけでなく、セーブするシーンもしっかり見てくれれば嬉しいです。生観戦でなければ見えなかったりするところもあるので、その熱いプレーとゴールを守るところを観に来て欲しいです」 熱狂のスタジアムで松原選手に熱い声援を送り、セーブシーンを力強く後押ししましょう!
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