長尾 優斗(ながお ゆうと)
水戸ホーリーホック MF 背番号15
●2001年8月31日生まれ
出身地 大阪府
身長/体重 178cm/73kg
血液型 B
利き足 右
加入歴 1年目
経歴 摂津FC →摂津イレブンJSC →千里丘FC →ガンバ大阪ユース →関西学院大学
熱血指導の父のもとでサッカーの道へ
個の能力を磨き全国大会に出場した中学時代
大卒ルーキーながら開幕スタメンを獲得し、攻守の要として躍動するボランチの長尾優斗選手。 今季の「育成の水戸」を象徴する若きプレーヤーは大阪府摂津市で生まれ、元日本代表の本田圭佑さんと同じ小中学校で育ちました。 学生時代サッカーに励み、G大阪サポーターでもあるという父の影響で、物心つく前からサッカーが身近にある日常。熱血指導する父のもと、兄を含む親子3人で毎日ボールを蹴り合い、週末はG大阪の試合を観戦する日々を過ごしました。
「父はサッカーも勉強も両方とことんやれという感じでした。宿題のノートを持ち帰り忘れたら、ものすごく怒られて、一人で学校に取りに行かされたこともあるぐらい(笑)。他の家庭と比べると、すごく厳しい環境で育ったイメージがあります」 本格的にサッカーを始めたのは幼稚園年中の時。父がコーチを務める摂津FCに入団すると、類まれなる才能を開花させていった長尾選手。小学4年生からはフットサルも並行しながら、更にハイレベルな環境を求め、小学6年生の夏に摂津イレブンJSCに移籍。 小学生の途中で違うチームへ移ることは子どもにとって簡単な決断ではなく、ためらうケースも少なくありません。しかし、長尾選手の場合は「プロになりたいという気持ちがあったから、そんなの何も関係なくて。だから、パッと移籍できましたね」と、迷いがなかったと言います。 摂津イレブンJSCでは大阪府ベスト8を経験。 そして、中学では地元の強豪クラブである千里丘FCの門を叩きました。
入団一年目で、千里丘FCはC大阪、京都、神戸などJクラブの下部組織を打ち破り、関西リーグで優勝。中学2年次でトップチームに昇格した長尾選手は、最終学年になるとボランチやトップ下のポジションでチームの中心となり、関西リーグ2位の成績で全国大会に出場します。この大会では、横浜F・マリノスに10失点を喫する悔しい大敗も経験しましたが、攻撃的なサッカーで個の能力を磨き上げ、さらに頭角を現していきました。
厳しい環境を求め進んだ強豪G大阪ユース
同学年で最下位の序列から這い上がった日々
数々の大会での活躍により、長尾選手の元には関西の複数のJクラブユースからスカウトが舞い込むように。この年代のサッカー選手は特に、試合への出場が成長の糧となり、選手としての評価や価値に繋がります。しかし、たとえすぐには試合に出られなくとも、より厳しい環境に居たいと熟考した末、地元のG大阪ユースを選択しました。
「高い壁があるほうが自分は成長できると考えました。自分より上手い選手がいて、基準が高いところに行きたかったんです。負けず嫌いなので、上手い選手にどう勝っていくか挑戦するのがすごく好きなんです。その分、成長スピードも速くなるし上手くなる。だから僕は、ずっとそういう選択をしてきました」
敢えて選んだ厳しい道。入団後は案の定、試合に出られず、同学年15人のうち実力では最下位の15番手であることが明らかな状況でした。
頭で理解してはいるものの、悔しさのあまり、それを認められない自分との葛藤の日々。
このころ、G大阪ユースは長尾選手の代から通信制の教育となり、2部練習に変更。練習時間が長く取れるようになり、コーチと自主練習を積み重ね、地道な努力を続けました。すると、1年生の夏頃、Bチームでようやくユースデビューを果たし、そこでいきなりゴールを獲得。 「進むスピードが周りより遅くても、地道に努力できるのは自分のいいところ。それで段々と出場機会が増えてきたんです」 それからコンスタントに出場機会を得るようになると、2年次にはAチームにメンバー入りを果たし、着実に前進していきます。
今も胸にある恩師の言葉
J3の舞台で見事に打ち砕かれた自信
心も身体も強く成長したこのユース時代に、技術面はもちろん、サッカー選手としての長尾選手の価値観を覆した重要な出来事もありました。それは当時のG大阪ユースで監督を務めていた森下仁志氏(現・東京Vトップチームコーチ)との出会いです。
「パスを受ける時の身体の向き、サポートする時の身体の動きの作り方、トラップの位置など、めっちゃ細かいところまですごく熱心に指導してくれました。そんな指導者と出会ったことがなかったし、すごい熱量で伝えてくれるので、自分の中にスッと入ってくるんです。技術面だけじゃなく『感情をコントロールできる人間にならなければならない』『感情に揺さぶられてはいけない』と監督によく言われていました」
プロになった今でも、愛情深い厳しさで接してくれた恩師の言葉をよく思い出すそうです。
トップに昇格してプロになれるか、否か。
ユース選手として命運を分ける3年目。当時のG大阪はJ3に出場するU-23チームがあり、トップチームのキャンプ不参加組との合同練習によってプロへの道を一歩前進できるか見極められました。
その練習でJリーグへの出場が可能になる2種登録を勝ち取った長尾選手。2019年4月13日、高校3年の春にJ3デビューを果たします。しかし。
「プロになれた訳ではなかったので、嬉しさは全然ありませんでした。G大阪はビッグクラブなのでトップにはすごい選手がいるし、ここで結果を出さないとクラブに残れない。トップ昇格の内定をもらうために、もっとやらなきゃいけないという気持ちが強かったです」
J3は下位リーグとは言え、プロ同士が真剣勝負で戦う大舞台。高校生の技術やフィジカルでは通用せず、「プロで活躍できるという手応えを全く感じられませんでした」と振り返るように、それまで培った自信を粉々に打ち砕かれる苦い経験となりました。
関西リーグの新人王からBチームに転落
再び返り咲いた波乱の大学時代
ユースの選手でJ3を経験しプロの洗礼を受けた長尾選手は4年後のリベンジを掲げ、多くのJリーガーを輩出している関西学院大学への進学を決意。
約200人の部員が、A、B、C1、C2の4チームにランク分けされて切削琢磨する関西学院大のサッカー部でC2からスタートした長尾選手でしたが、瞬く間にAチームに掛け上がり、1年生にして公式戦全試合に出場。関西学生リーグで新人王に輝く快挙も成し遂げます。
また、1年生として唯一、関西選抜に選ばれ、毎年春に開催される大学サッカーの地域対抗戦「デンソーカップチャレンジサッカー」にも出場。幸先良い始まりのシーズンを過ごしました。
しかし、更なる活躍を期して臨んだ2年次に事態が暗転。肉離れの負傷で数週間、戦線を離脱すると一気にBチームへ降格。そのまま一度もAチームに上がれない挫折の一年を経験します。
それでも、厳しい競争やBチーム特有の“根性走り”を反骨心で耐え抜いたという長尾選手。「Aチームを経験している自分が中心になって、このチームを勝たせなければならないと責任感を持っていました」と当時を振り返ります。
その後、大学サッカーのセカンドチーム以下が参加するIリーグ(インディペンデンスリーグ)でチームを日本一に導く活躍を見せると、3年次には再びAチームに返り咲きました。
当時の関西学院大のAチームには、一学年上に木村勇大選手や山田剛綺選手(どちらも現・東京V所属)、同期に濃野公人選手(現・鹿島所属)倍井謙選手(現・名古屋所属)など、現在プロとして活躍する選手が多数在籍。この年、圧倒的な強さで関西リーグ優勝を飾ります。 同時に、主力の一人として戦った長尾選手は、互いの持ち味を発揮しながら勝利を積み重ねるチームで、プロへの階段を着実に上っている手応えを掴んでいきました。 また、インカレ準決勝の桐蔭横浜大学戦では、現在のチームメイトであるFW寺沼星文選手と対戦。惜しくもチームは敗れましたが「ロングボールは通るし、ボールも奪えるし、自分が攻撃の中心でした。ミスをする気はしなかったですね。いわゆるゾーンに入っていたと思います」と、プロのスカウトが注目する重要な一戦でハイパフォーマンスを披露。Jクラブから練習参加への誘いの声を受けるなど、プロの道への絶好のチャンスを引き寄せます。 その後、3年生の冬に水戸ホーリーホックの沖縄キャンプに参加し、2023年7月、チームは長尾選手の新加入内定を発表。 「プロのスタートラインにようやく立てましたけど、手放しで喜んだというよりは、ここからが勝負だと気を引き締める心持ちでした」と言葉にする長尾選手。夢の『第一歩』を、この水戸の地で踏み出したのでした。
足元の技術習得はフットサルがおすすめ!
厳しい環境に身を置き、どんな状況でも努力し続けること
幼い頃からの夢を叶えた長尾選手が考える“プロになる”ために大事なこと。それはどんな状況でも焦らず、努力し続けることだと語ります。
「周りより進むスピードが遅くても、努力を止めてはいけません。自分の結果がなかなか出せなくて、周りがすごく結果を出していたとしても、それに焦らず自分のペースで努力し続けてやり続けることは、プロになるためにすごく大事だと思います」
そしてもう一つ、ストイックな長尾選手ならではのアドバイスも。
「厳しい環境に身を置くこと。自分の基準は自分にしか分からない。でも自分の基準をどれだけ上げられるかは環境次第だと思います。だから基準が高い環境に身を置くことはすごく大事です」
進路を決める際は、特待生として優遇してくれるなどの条件面よりも、いかにしてプロになるか、自分が成長できる場所かをよく考えて進むべき道を選ぶことも重要だと強調します。
そんな長尾選手が技術の習得を目指すジュニア世代の選手たちにイチオシしてくれたのは、自身も小学生時代に取り組んでいたフットサル。 「サッカーってボールが大きいし、試合ではあまり触れないですよね。でもフットサルはたくさんボールに触ることができるし、足元の技術をすごく身につけられる。足元に自信もつくので、サッカー+フットサルに取り組むことをオススメします」とのこと。サッカー少年少女の皆さん!ぜひ、長尾選手の助言を参考にして取り組んでみてください!
同世代のチームメイトと盛んに交流
試合前後は薪サウナで心身を“ととのえる”
過密日程のリーグ戦やカップ戦の激戦をこなす長尾選手の癒やしのひとときは、サウナで “ととのう”こと。オススメのスポットは、水戸市笠原町にあるスーパー銭湯やまの湯にある『薪サウナ』。
「(落合)陸君が僕や(得能)草生、ヒデ(甲田英將選手)ら後輩たちにサウナハットをプレゼントしてくれて、よく一緒に連れて行ってくれるんです。薪の香りもめっちゃ良いです」と大満喫の様子。心だけでなく身体も軽くなり、コンディションづくりに一役買っているのだとか。
『育成の水戸』を誇るチームには今季も9人の高大卒ルーキーが加入。二十歳前後の若い選手が多く、ピッチ外でも同世代の選手の交流が盛んです。
「チームメイトとコミュニケーションが取りやすく、すごくいい環境だと感じています」と笑顔で話す長尾選手。プライベートでの仲の良さは、ピッチ上でのコンビネーションの向上にも活かされていくことでしょう。
4月21日(日)第11節、開幕戦以来、約2ヶ月ぶりにアウェイのレノファ山口戦で白星を挙げた水戸ホーリーホック。前線がいよいよ覚醒し始め、上位浮上へ向けて反撃開始の狼煙を上げました。
「皆さんに自分が活躍するところを生で見て欲しいです。目に見える結果を出せるように頑張りますので、応援をよろしくお願いします」と意気込む長尾選手。
強烈なミドルシュートや鋭いスルーパスで決定機を演出する新進気鋭のボランチ。そのダイナミックなプレーに、皆さんの大きな声援を送ってください!
水戸ホーリーホック公式サイト
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