松田 佳大(まつだ けいた)
水戸ホーリーホック DF 背番号24
●2000年5月17日生まれ
出身地 大阪府枚方市
身長/体重 190cm/81kg
血液型 B
利き足 右
加入歴 1年目
経歴 EXE90FC Jr →セレッソ大阪U-15 →京都橘高 →東洋大学 →FC大阪(育成型期限付き移籍)
ドン底を味わった中学時代
強豪・京都橘での再生、憧れの選手権出場
松田佳大選手は今期チームに加入し、DFラインの司令塔として活躍する新進気鋭の大卒ルーキー。 大阪府枚方市の出身でサッカーとの出会いは幼稚園年中の頃まで遡ります。瞬く間にボールを蹴ることにのめり込み、小学4年から地元の強豪クラブEXE90FC Jrに入団。本格的なサッカー人生の始まりでした。
新しい環境のもとでメンタルとフィジカル両方を鍛え上げ、6年生ではFWとしてエースナンバー10番を背負って活躍。その後、育成に定評があるセレッソ大阪の下部組織、ジュニアユースチームの一員となることに。しかし、ここまで順調にステップアップをしていた松田選手を待ち受けていたのは、名門クラブの厳しい洗礼。圧倒的な実力差のある選手とのポジション争いでした。 「ドン底。大挫折でした。自分は地区トレセンレベルで、チームメイトは年代別代表ばかり。地道にコツコツ努力しても全く歯が立たなくて、『やめたい』と泣きながら帰る毎日でした」 何度も折れそうになる心。 そんな松田選手を支えたのは、子どもの頃に見た高校サッカーの存在でした。 「小学6年生の時、京都橘高の試合をテレビで見て『この舞台に立ちたい』と思いました。その時の気持ちを思い出したら『ここから成り上がろう』と、またサッカーに対して自分の中に火が付きました」と振り返ります。 そして、なんとか掴んだ一日限りの練習参加。松田選手はこのチャンスをものにして念願の京都橘への道を切り開きました。 強豪校として大勢の部員が集まるなかでの再スタート。ここでも一番下のチームからのスタートでしたが、反骨心を持って朝から晩までハードなトレーニングをこなす日々。同じ志を持つ2人の親友とともに、サッカー漬けの毎日を夢中で駆け抜けました。気が付くと、徐々に序列を上げ2年の時にトップチームへと昇格。憧れの選手権大会で初めてベンチ入りを果たし「自分がこのチームを率いる」と確かな自信を取り戻します。 そして、3年生になるとチームの主力として公式戦全試合にフル出場を果たし、選手権のピッチに立つ夢を叶えました。
退路を断って挑んだプロへ繋がる道
あらゆる苦境を乗り越えて掴んだJの舞台
教員かプロか。高校卒業という人生の岐路に立ち、大学でプロを目指すことを選んだ松田選手。自ら退路を断ち、東洋大学への進学を決めました。 大学では1年からトップチームで活躍。すると、ある日、サッカー人生を変えることに繋がる一戦を経験します。 それは現日本代表で、大学サッカー界のトップ選手だった筑波大学・三笘薫選手とのマッチアップ。 高い技術とスピードを誇る名ドリブラーを押さえて、東洋大はその試合に見事勝利を収めました。 「僕自身、あの一戦で大きな自信を得ることができました。そして、世界で戦いたい、日本代表になりたいと目標が明確になったんです」 ところが、そんな光差す未来が見えた途端、またも試練が襲い掛かります。 東洋大は関東2部リーグに降格し、監督が交代。主力だった松田選手は、一番下のチームに降ろされることに。更に追い打ちをかけるように、新型コロナウイルスの大流行でサッカー自体ができない状況に陥りました。 「大学2年の年はコロナでほとんどサッカーができず、3年ではトップチームに戻りましたがゲームにはほとんど出られませんでした。4年の途中頃からようやくピッチに立てたんです」 プロになる夢に暗雲が立ち込める状況のなか、それでも自身のプレー映像をプロクラブに送り続けると、次第に練習参加へのオファーが届くように。するとその流れに引き寄せられるかのようにコンディションを上げ、僅かなチャンスを掴もうと全力でプレーする松田選手。様々な苦境に大学では思い描いた活躍をできませんでしたが、懸命に重ねた努力の結果はプロの目に留まり、松田選手の資質を高く評価した水戸ホーリーホックへの加入が決定したのでした。
ブレない心・諦めない姿勢・継続の大切さ
中学時代の自分を褒めてあげたい
「これまでたくさんの悔しい経験をしていますが、ブレない心や諦めない姿勢は自分の武器。中学時代の自分に『よくやめなかった』と褒めてあげたいです。そして、親をはじめ、さまざまな出会い、環境に感謝しています」 『自分を信じること・ブレない心・諦めない姿勢』 これを自身の拠り所にプロへの道を切り開いてきたという松田選手が、常に本気でプロを目指すライバル達と切磋琢磨し夢を叶えた過程で実感したこと。それは『継続の大切さ』でした。 「周囲はプロを目指す人ばかりでしたが『諦めない姿勢』はみんな結構、持っているんです。その中で『継続』できている人が上に行けているなと思います。僕で言えば、走ると決めたら、毎日走ったり。朝練をやると決めたら、3年間ずっとやり続けました。正直、面倒臭くなる時もあると思うのですが、それをやるかやらないかで未来は変わってくる。今も一番大事にしていることです」と強調します。 また、小中学生時代は一番技術が伸びる時期。この時期にパス、ドリブル、リフティングなど足元の技術をしっかり身につけて欲しいと話す松田選手。将来プロになった時にもポジションを問わず大事になる技術で、これらを習得しておけば、いつか必ず花開くときが来ると子どもたちへのアドバイスを送ります。
DFラインを統率する終盤戦のキーマン
休日はカフェや映画でまったりリラックス
プロ一年目から激動のシーズンを戦っている松田選手の気になるオフの過ごし方は、大好きなサウナに入ること。交代浴で疲労を取って、次の練習再開までじっくり身体を休めているそうです。 また、カフェで本を読んだり、部屋で洋画を観たりなど、まったりと過ごすことが多いのだとか。 ちなみに、おすすめの映画は『イエスマン』。 「落ち込んでいるのが馬鹿らしくなるほど、前向きになれるコメディ映画。サポーターの方など、周囲に必ず薦める一本です」 そして、今年は笠間市PR大使に就任。「好物のコーヒーを飲むための湯呑など、食器を手作りしてみたいですね」と意欲的で、笠間焼で有名な同市で陶芸にもチャレンジしたいと話します。
粘り強さ。若さ。根強さ。不屈。 水戸ホーリーホックにそんな魅力を感じて入団したという松田選手。 「実際に選手たちがそれらを体現しているチーム。僕らはサポーターの方の声援に勇気付けられ、それが毎試合、毎練習の原動力になっています。ぜひ会場で僕らの不屈の精神を見て、一緒に戦って欲しいと思います」 ルーキーながら守備を統率し、ここ一番のセットプレーでも強さを見せる松田選手。ここから順位浮上を狙うチームにあって、終盤戦のキーマンとなる選手の一人です。その強い気持ちと戦う姿をホーム・ケーズデンキスタジアム水戸で見届けましょう!
水戸ホーリーホック公式サイト
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