牛澤 健(うしざわ たけし)
水戸ホーリーホック DF 背番号33
●2001年4月11日生まれ
出身地 愛知県
身長/体重 177cm/73kg
血液型 B
利き足 右
加入歴 1年目
経歴 守西FC →名古屋グランパスU-12 →名古屋グランパスU-15 →名古屋グランパスU-18 →中央大学
誘われるままセレクションを受け、
名古屋の下部組織に加入
後に日本代表や海外で活躍する選手たちと
切磋琢磨する日々
状況判断に優れ、相手の攻撃を冷静にブロックする守備力。そして精度の高いビルドアップで、自陣深くから攻撃の起点にもなれるセンターバック。今シーズンからチームに加入した牛澤選手は、大卒ルーキーながら守備の軸に抜擢され、ここまで不動のレギュラーとして活躍しています。そんな牛澤選手、母親の出身地である中国・西安市で生まれ、愛知県で育ちました。 サッカーを始めたのは兄の影響で、幼稚園の年中から地元名古屋の地域クラブ・守西FCに入団。サッカーの楽しさに出会います。 転機となったのは小学3年の時。友人に誘われ名古屋グランパス下部組織のセレクションを軽い気持ちで受けたところ、見事に合格。プロサッカー選手となる運命の歯車が回り出します。 「勝たなければいけないチームで、レベルの高さを感じました」と当時の気持ちを口にする牛澤選手。強豪Jクラブのアカデミーで小学4年の頃からさまざまな大会に出場し、6年では全日本U-12サッカー選手権大会で準優勝に輝くなど、ディフェンダーとしての才能を磨いていきます。
中学時代にはボランチも経験。全国大会でベスト16の結果を刻みましたが、それでも本人にとっては「それほど大きな成績は残せなかった」のだそう。 そんな中学時代に印象に残ったのが、1学年上の世代別日本代表でプレーしていた菅原由勢選手(オランダ1部リーグ:AZアルクマール所属)、藤井陽也選手(ベルギー1部リーグ:KVコルトレイク所属)、成瀬竣平選手(V・ファーレン長崎所属)らがいるチームとプレーする機会を得たときのこと。彼らを通じて、リーダーシップの必要性やプレーで違いを見せることの重要性を肌感覚で学んだと話します。
“黄金世代”と称賛された華々しい高校時代
2度の日本一、クラブユースは大会MVP獲得
高校生となり、名古屋グランパスユースに昇格した牛澤選手。このユース世代はその活躍から“黄金世代”と称賛され、輝かしい成績を残しました。
牛澤選手はスタート時こそBチームでしたが、1年の夏にはAチームへ昇格。直後はゲームをクローズする短い時間での出場を数試合経験するに留まりましたが、右サイドバックにコンバートされてからコンスタントに出場を重ねるようになります。そして再びセンターバックに戻った3年時には総キャプテンとして個性的なチームをまとめ上げ、日本クラブユースサッカー選手権、Jユースカップの2冠を達成。クラブユース選手権では大会MVPも獲得する大活躍でした。
「最初はリーグ戦の成績もそんなによくなかったんです。クラブユースでは予選の準決勝で負けて、3位決定戦で勝たないとノックアウトステージにいけないような状況でした。その試合で、後半途中まで負けていたジュビロ磐田に逆転して勝ち切ったのが大きかったと思います。そこでスイッチが入り、それからはずっと、いろんな試合で勝ち続けていった感じです」 そう振り返る牛澤選手。“黄金世代”の称号に相応しい大金星を挙げ、高校3年間を締め括りました。
降格と昇格を繰り返した激動の大学時代
4年時は総理大臣杯や全日本大学選抜で躍動
プロ選手を目指して、パスサッカーを標榜する中央大学へ進学した牛澤選手でしたが、入学した矢先、コロナ禍に突入。活動の制限を余儀なくされる中、1年生からAチームのメンバーとして関東1部リーグを戦います。しかし、チームはその年、2部に転落。主力として昇格を目指して挑んだ翌年は、最後まで昇格争いに加わりましたが最終戦で敗れ、1部復帰への切符が目の前ですり抜けました。
そして迎えた3年時、監督の交代とともに、中大OBで元日本代表の中村憲剛さんがテクニカルアドバイザーに就任。中村さんからパススピード、全体のラインの高さ、センターバック間のパスについてなどの細かなアドバイスを受け、着実に技術の向上を図っていきました。
「本当にちょっとしたところなんですが、だいぶ意識付けられたと思います」と振り返る通り、チームは夏明けから好調に転じ、シーズン終盤には7連勝してリーグを優勝。1部昇格を果たしました。
そして挑んだ最終学年のシーズン。開幕戦で引き分けた後、チームはなかなか調子を上げることができず、前期はわずか1勝という結果に。 またカップ戦では、初出場した総理大臣杯全日本大学サッカー3回戦で、現在のチームメイト・長尾優斗選手率いる関西学院大学と対戦するも大差を付けられて敗退。 悔しい結果に打ちひしがれる状況のなかで、全日本大学選抜のメンバーとしても奮闘を続けた牛澤選手。やがて自チームの中大も勝ち点を重ねられるようになり、最後は降格プレーオフを制して後輩たちへの置き土産となる1部残留を決めることができました。 「一番しんどかった」という苦しい時期を過ごした牛澤選手でしたが、その努力と活躍が目に止まり、水戸ホーリーホックへの内定を獲得。プロの世界に一歩を踏み込みました。
新進気鋭のCBが伝授するプロになる極意!
「たくさんボールを触れる」「努力し続ける」
2024年シーズンが開幕を迎え、第2節以降からここまで継続してフル出場を果たし、毎試合ごとに存在感を放つ牛澤選手。そんな気鋭の若手CBが伝授するプロになる極意とは、『ボールにたくさん触れること』そして『努力し続ける』こと。
「大学時代は特に練習量が多く、早朝にチームの全体練習をして、午後は寮のトレーニングルームで筋トレ、学生トレーナーや同期とグラウンドでボールを蹴る毎日を過ごしていました。自分はあまり怪我をしなかったので、コツコツずっと続けられました。そういうプラスアルファの練習や努力が大きかったんじゃないかと思います」
伸び盛りの小・中学生に向けては「サッカーはやればやるほど上手くなる。特におすすめの練習メニューはなくて、本当に好きなようにやればいいと思います。壁があれば壁にボールを蹴るのもよいですし、ドリブルが好きな人はとことんドリブルを磨けばいい。とにかく自分ができること、やりたいことをどんどんやって、ボールに触れるのが一番いいんじゃないかと思います」
伸び伸びと自由に自分の武器を磨き、そして来る日も来る日もコツコツと努力を積み重ねる。“プロサッカー選手の道は一日にしてならず” を自ら実践してきた牛澤選手のアドバイス。ぜひ、参考にしてみてください!
同世代の仲間と過ごすオフのひととき
オススメのドラマやご褒美スイーツも紹介♪
オフの日は大学時代の友人と会ったり、チームの同期メンバーでダーツを楽しんだり、プロ一年目の生活をピッチ外でも有意義に過ごしているという牛澤選手。
NetflixやTVerなどで映画やドラマを観るのも、リラックスタイムの定番。主に韓国ドラマを観る機会が多く、オススメは『涙の女王』なのだそう。最近観た中で面白かった日本の作品では『医龍 Team Medical Dragon』を挙げてくれました。
「僕は子どもの頃からテレビはよく観るほうでした。バラエティ番組もチェックしていて、お笑い芸人の千鳥やかまいたちが出ている番組はよく観ていますね。もちろんYouTubeやTikTokの動画もいろいろ観ていますよ」
そしてもうひとつの楽しみが、地元のスイーツを食べること。サッカー選手は試合前に炭水化物を多く摂取しますが、牛澤選手の場合は大学時代から餅が勝負メシの一つ。その理由は「ゲン担ぎとかではなく、本当にただ美味しくて好きだから」と実にシンプル。もち米やあんこを使った和菓子も好物で、普段からスーパーなどで大福やおはぎをよく購入しているそうです。 ちなみに第11節のレノファ山口戦で自身のプロ初白星を挙げた試合後は、自分へのご褒美として小倉屋(水戸市笠原町)の大福、こむぎ屋(水戸市見川)のおはぎを、勝利の余韻とともに味わったのだとか。 茨城県がシェア全国第1位を誇り、自身がPR大使を務める那珂市の名産品「干し芋」も好きな食べ物で、いつか行ってみたい専門店をいろいろとリサーチしているとのことです。
いよいよリーグ折り返し地点!
アグレッシブで全員粘り強く戦うサッカーを刮目せよ!
開幕から苦しい試合が続いていた水戸ホーリーホックは、5月中旬に森直樹新監督が就任。
新生水戸は『ハイテンション』『ハイインテンシティ』を新テーマに掲げて、粘り強く積極果敢に前へ向かう“水戸らしさ”を発揮。それとともに徐々に順位を上げ始めています。
「水戸の特徴はアグレッシブで全員が走って戦うサッカー。観ている方々に勇気を与えられるようなプレーをしますので、ぜひスタジアムに足を運んで観に来てください」と牛澤選手。
今季のJ2リーグも間もなく折り返し地点。群雄割拠の戦いはここからさらに激化します。
勝利の鍵は、水戸のDNAとして受け継がれる『堅守』にあり。そのキーパーソンとして、攻守でチームに貢献する牛澤選手。さらなる活躍に期待し、応援しましょう!
水戸ホーリーホック公式サイト
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