【いばナビ】ホーム > 茨城イイトコナビ > 筑西・結城・古河 記事一覧 > 筑西市 七ヶ所の羽黒神社を巡る「七羽黒巡り」にまつわる歴史

七羽黒巡り ななはぐろめぐり

筑西市の「七羽黒巡り」

筑西市の「七羽黒巡り」というイベントをご存知ですか?七ヶ所の羽黒神社を巡り、七倍のご利益を受けることのできるこのイベント。実は興味深い歴史が隠されていました。
今回は七羽黒巡りの楽しみもご紹介しながら、七羽黒神社にまつわる歴史を紐解いていきます。

1年間の無病息災を願う七羽黒巡り

筑西市の町興しの一環として、「七羽黒巡り」というものがあります。皆さんはご存知でしょうか?そもそも「七羽黒」とは、筑西市(旧・下館市)と栃木県真岡市にまたがって点在する七つの羽黒神社のこと。この七ヶ所の羽黒神社を巡ることで、よりたくさんのご利益をいただこうというツアーイベントが「七羽黒巡り」なのです。

このイベントを主催しているのは、ちくせい観光ボランティアガイド協会。「七羽黒巡り」は、
七ヶ所の羽黒神社はもちろん、地域ごとの観光スポットやグルメも堪能できる学びと楽しみがつまったバスツアーです。また、「七羽黒婚」という七羽黒巡りを行う結婚式をプロデュースする地元企業などもあり、今後ますます注目度がアップしそうな七ヶ所の羽黒神社です。

しかしなぜ茨城県と栃木県にまたがっているのか?また、七羽黒にはいまだ解明されていないさまざまな謎も渦巻いているとか…。まずは、下羽黒神社の宮司をされている濱田人吏さんに七羽黒の歴史や隠された謎を教えて頂きました。

五羽黒から始まった羽黒神社の歴史

下館の歴史を語るときには欠かせないひとりの存在、初代・水谷勝氏。そんな水谷氏が下館藩の藩主となったのは、遡ること530年以上前の1478年(文明10年)のこと。城を建立する場所として選んだのは、東に五行川が流れ、南方には広々とした常陸野が広がり、西に沼沢、北に丘陵を控えた地です。敵に攻め入られても屈強な、地の利を得た立地でした。1481年(文明13年)、水谷氏が日頃尊崇する山形県の羽黒山から羽黒神社を勧請すると、まず初めに城の周辺の五ヶ所に、羽黒神社を配しました。

その後、第六代藩主に政村(蟠龍斎)氏が就く頃には下館藩の勢力はいっそう拡大し、その名を広く轟かせます。氏もまた神仏を深く崇拝しており、新しく築いた久下田城の周辺に新たに二羽黒を加えました。この時に領地として加えられたのが今の真岡市にあたる土地であり、かつては下館藩としてひとつの町であったのです。そこに配された二つの羽黒神社を加えた為に「下館七羽黒」としての名が残り、二県にまたがる神社群となったのでした。

こうして下館の七羽黒神社が構成され、現代に至るまで鎮守されています。ですが、なぜその場所を選んだのか、という点は未だ正式な解明はされていません。そこで下館七羽黒神社のことを独自に研究・調査しているちくせい観光ボランティアガイド協会前会長の大和田信雄さんにお話を伺いました。

下羽黒神社宮司・濱田人吏さん

七羽黒巡りは “謎解き”のイベントでもあった

大和田さんが考えている仮定のひとつとして、ある図形が法則としてみられると言います。七羽黒神社周辺の主要な神社の位置を結ぶと、その多くが七羽黒神社を中心とした二等辺三角形になります。三角形は昔から土地を守る結界の形とされていて、七羽黒神社が下館藩にとっていかに重要な位置に建っているかが見えてきました。七羽黒神社が町を守り、その七羽黒神社を起点に(下館全体に及ぶ)二等辺三角形を形成しながら、多くの神社仏閣が配されたのかもしれません。藩主が変わればお寺の位置は変えましたが、神社はそのままで、この土地を守るという思いはずっと続いていたからこそ、この法則性もまた続いてきたのでしょう。

また、七羽黒神社には、それぞれ鬼門や風門としての役割があります。一般に家を建てる時の向きや間取りなどで聞くことの多い用語ですが、古くから物事の善し悪しも方位で決まるとされていた時代、東方を司る青龍、西方を司る白虎、南方を司る朱雀、北方を司る玄武の四神の方位と正しく向き合うことが、成功を握る鍵とされ、初代水谷氏が築城した場所も、東西南北それぞれに利のある要害な土地でした。それはまさに「四神相応」と呼ばれる思想に則っていると考えられています。

最初の五羽黒が建立されたのは、ほとんど同時期だと考えられています。初代藩主の水谷氏は、領内の平和と安泰を願うために神社を建て、大町と岡芹、そして下岡崎の羽黒神社には観音様を祀りました。とくに、大町の羽黒神社は、清龍寺羽黒大権現寺と言われ、常陸西国三十三観音二十八番札所になっています。「先の世の、罪もむくいも残らじな、清龍寺に参る身なれば」と御詠歌も残されています。方位が重要な時代だったからこそ、町を守るために重要な土地に神社を配したということなのでしょう。
真相はいまだ歴史の中とはいえ、そう考えると時の権力者達の篤い信仰心と町に対する真摯な思いが伺えます。知れば知るほど奥の深い七羽黒神社の歴史と“謎”。「七羽黒巡り」ではその歴史と“謎”にも触れることができます。新しい年をきっかけに、地元の未知なるロマンの数々に思いを馳せながら、身近なパワースポットで新年の幸福を願いましょう。

筑西市の見どころ再発見バスツアー

下館の礎を築いた下館城主「水谷氏」の歴史と領内安堵を願って建てられた七つの羽黒神社を巡ります。また、下館藩の立て直しを行った二宮尊徳(金次郎)のゆかりの地をご案内します。

◎開催日/平成29年1月28 日(土) 8:40~16:00
◎参加費/無料(※昼食代別途)
◎定員/先着30名(定員になり次第終了)
◎応募締切/平成29年1月19日(木)
◎案内人/ちくせい観光ボランティアガイド協会・報徳壹圓塾
◎主催・申込/筑西市経済部商工観光課 TEL.0296-20-1160

七つの羽黒神社

【風門】 下岡崎羽黒神社
昭和31年に火災で焼失(同年再建)。昔は境内に願掛け石があり、夜半誰にも見られずに持ち上げると願いが叶うと言われていた。

【鬼門】 竹島神社
竹島小学校のすぐ隣に鎮守する羽黒神社は、現在は竹島神社の名で親しまれている。

【鬼門】 大根田羽黒神社
昭和33年に台風で倒壊。水谷氏の家臣である上野氏と子孫が代々守り続けていた。平成7年に再建。

【病門】 口戸羽黒神社
七羽黒で一番小さな規模で、周辺を田んぼや畑に囲まれており、見つけるのが難しいかも?ぜひイベントに参加して探そう。

【天門】 上羽黒神社
下館の下羽黒神社に対して上羽黒神社と呼ばれている。八代目藩主が息子の息災、延命、武運長久を祈願し建立。

【病門】 外塚羽黒神社
以前は境内の形から「舟形羽黒」と呼ばれていた。近くに「舟」の付く寿司屋があったのは偶然?

【中宮】 下羽黒神社
七羽黒の筆頭として、おなじみの下館中心部に鎮守。羽黒神社の神様はすべて七福神の一人である「大黒様」

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