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剣聖・塚原卜伝について掘り下げます!

戦国時代、30年以上の廻国修行で将軍や戦国武将らの剣術の指南役を務め、現在も鹿嶋に伝わる剣術「鹿島新當流」の開祖として知られる剣聖・塚原卜伝。
そんな鹿嶋市民におなじみの郷土の偉人について、半世紀近く研究している元神職で郷土史家の矢作幸雄さん(鹿嶋市在住)に、知っているようで知らない卜伝の人間像についてお聞きしました。

(※内容は2016年8月25日時点のものです)

塚原卜伝の生涯とは

「人と接する時は相手を敬い、正しく、清らかである。そう思ったことを貫いた卜伝さんの哲学は、現代でも大事なこと。人間には色々な生き方がありますが、彼の生涯を通じて、強く生きることを学べるのではないかと思います」
鹿島神宮の権禰宜時代、塚原卜伝没後400年史の作成に関わって以来46年間も卜伝研究を続けている鹿嶋市宮中在住の郷土史家・矢作幸雄さん。研究の集大成とも言える著書「無敗の剣聖 塚原卜伝」(講談社)の執筆活動を通じて、そのような確信を得たと語ります。
生誕500年経った今でも郷土の偉人として人々に親しまれている塚原卜伝。
歴史上、剣豪は全国各地に存在していますが、剣聖とまで讃えられる達人はほんのひと握り。卜伝がいかにして語り継がれる鹿島の英雄となったのか、その生涯を振り返ってみましょう。

塚原卜伝の生き方が私たちに教えてくれること

ト伝は、今から約500年前の戦国時代、1489年に鹿島(現在の鹿嶋市)で産声を上げました。
父の吉川左京覚賢は鹿島城の家老で、鹿島神宮に仕える卜部氏であると共に、剣術「鹿島の太刀」の継承者。由緒ある家柄の次男として生まれた卜伝の幼名は朝孝といい、塚原城の塚原土佐守安幹の養子となり、義父から「香取神道流」の剣術も学びました。
そして元服して塚原新右衛門高幹と名乗り、武道を極めようと1505年から初めての廻国修行に出発します。
するとすぐに京都の清水寺付近で最初の真剣勝負をし、若干16歳にして初勝利。以後の約15年間、多くの戦に加わって武者修行を重ねました。
「真剣の試合19度、戦場の働き37度、一度も不覚を取らず、矢傷6ヶ所以外に傷一つ受けず、立会って敵を討取ること212人」そんな驚くべき逸話が残っていますが、これは1回目の修行の際の出来事として伝えられています。

修行の旅を経て卜伝が得たものとは…

時は乱世。自らも人を殺め、多くの屍を目の当たりにした高幹は、やがて心を病み、1518年頃に帰郷。そして周囲の勧めにより、鹿島神宮で約3年も参籠をしました。
「卜伝さんは元々温厚でユニークな人。船上で戦いを挑まれた際、相手を口車に乗せて降ろして戦わずして去ってしまったり、いずれのエピソードも人を殺さずに生かそうとしていたものばかり。だから長い間、相当な無茶をしたのだと思いますよ。田舎に戻り、鹿島神宮の森に籠って色々考えたのでしょう。そして自分が身につけた武芸、心の悟りにより、人間が大きくなったのだと思います」と矢作さん。
鎮守の森で己や剣と向き合う中、鹿島の大神より「心を新しくして事に当れ」との神示により、ようやく長いトンネルを脱した高幹。この後に塚原卜伝と名を改め、1523年に再び修行に挑みます。
この時に持参したのは、真剣ではなく、人を殺めることのない木剣。諸国で剣を指導しながら福岡・太宰府まで足を伸ばし、武道家として心身を鍛えあげていきました。

諸国の剣豪たちの師となった卜伝

修行に出ていた期間の長い卜伝。彼に関する書物は、その活躍に反してあまり多く残されていないのだとか。

そんな最中、卜伝は実父の死を機に1532年頃国へ戻り、やがて塚原城の城主となります。
そして妻・妙を迎え、城の経営と武道を両立して弟子の育成にも尽力しました。しかし約10年後の1544年、最愛の妻が死去。すると城主の地位や名誉を養子の彦四郎幹重に譲り、1557年に3度目の修行に出ます。
この時、卜伝は齢68歳。己自身で完成させた、国に平和をもたらす剣術「一の太刀」を伝授するための旅でした。室町幕府将軍・足利義輝や義昭、戦国大名の細川幽斎に剣術を指導。甲斐国では武田信玄を始め、山本勘助、原美濃守、海野能登守などが卜伝の弟子となっています。
また、下野国の唐沢城では佐野房綱や祐願寺らが卜伝に剣を教わり、武芸者として有名になりました。そして卜伝は伊勢国(現在の三重県)国司の北畠具教を約2年指導し、彼に唯授一人の幻の剣術を授けたのです。
剣豪・諸岡一羽の家にも立ち寄った後、1566年頃、最後の廻国が終了。5年程過ぎた1571年3月31日、83歳の生涯に幕を下ろしました。

剣術だけでなく、人柄も尊敬に値する師

「500年経った今でも、私以外にも卜伝さんを慕っている人が数多くいるのは、剣術だけでなく人柄が優れていたことが大きいですよ」。戦乱の世において千人力の腕を持ち、地元で名高い一城の主であったにも関わらず、富や名声に目もくれず剣術を極める道を突き進んだ卜伝。
名立たる歴史上の人物達に厚遇された証として、塚原や卜伝の名が使われている公園、橋、温泉、剣術などが現在も各地に残されています。
故郷の鹿島でも銅像や史跡の他、卜伝を冠したお菓子や大会、地名などがあることはご存知の通り。
剣術「鹿島新當流」は現在も地域に伝わり、毎年鹿島神宮で開かれる古武道演武大会や日本古武道交流演武大会で披露されています。
卜伝の命日前後は、地域住民や剣の道を志す人により、たくさんの花が墓に手向けられ、その哲学が今なお人々の心に息づいているようです。

戦わずして勝つ。和を学ぶ剣術。礼節正しく、しなやかで、信念を貫く力強い生き方。
剣聖・塚原卜伝の生涯は、現代社会を生きる私達にこれからも人生のヒントを与えてくれることでしょう。

鹿島神宮駅から坂を登ったところにある鹿詰児童公園には、塚原卜伝像が立っています。「卜伝生誕之地」とも。

矢作幸雄さんプロフィール

協力:鹿島神宮 奥参道で撮影

協力:ミニ博物館ココシカ

1934年鹿嶋市宮中生まれ。
鹿島神宮、大洗磯前神社、筑波山神社、靇神社での神職を経て、現在は郷土史家として活躍中。
著書に「無敗の剣聖 塚原卜伝」(講談社)「やまとたけるのみこと」「にっぽんばんざい」「古代筑波の謎」(学生社)。鹿島新当流彰古会顧問、鹿島神流武道連盟顧問も歴任。


取材協力:ミニ博物館ココシカ
【住所】鹿嶋市宮中1-5-23
【営業時間】10:00~16:00
【定休日】なし
【入場料】無料
【TEL・FAX】0299-94-8161
http://www.bokuden.net/
鹿島神宮門前の大町通りにある小さな博物館。郷土の歴史や文化活動などの企画展を随時開催中。卜伝に関する資料や書籍約50冊、卜伝の木剣をイメージした剣など自由に閲覧できます。

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